女子棒高跳びの日本トップ選手として活躍する諸田実咲さん。日本記録を更新するなど注目を集めていますが、

「諸田実咲さんの中学はどこ?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
諸田実咲さんの中学について調べると「大泉町立南中学校」と「邑楽中」という異なる学校名が見つかるため、どちらが正しいのか迷ってしまいますよね。また、中学時代にどのような成績を残していたのか、棒高跳びを始めたきっかけも気になるところです。
そこで当記事では、諸田実咲さんの中学を中心に、中学時代の驚きの成績や父・諸田剛さんとの関係、高校・大学、骨折から世界陸上への復活、年齢や身長、自己ベストまで紹介していきます。
- 諸田実咲さんの中学と学校名の表記の違い
- 中学時代の走り幅跳びと棒高跳びの成績
- 父・諸田剛さんや高校・大学などの経歴
- 骨折から世界陸上への復活と現在の自己ベスト
諸田実咲の中学は大泉町立南中学校!邑楽中との表記の違いは?
諸田実咲さんの出身中学については、過去の競技記録から群馬県の大泉町立南中学校に在籍していたことが確認できます。一方、日本陸上競技連盟の選手プロフィールなどでは「邑楽中(群馬)」という表記も見られます。学校名が異なるため混乱しやすいポイントですが、中学時代の記録をたどることで経歴が見えてきます。
大泉町立南中学校と確認できる記録
諸田実咲さんが中学時代に在籍していた学校として確認できるのは、群馬県邑楽郡大泉町にある大泉町立南中学校です。諸田実咲さんは群馬県邑楽郡大泉町出身で、中学生のころから陸上競技の全国大会で活躍していました。
特に注目したいのが、2011年に行われたジュニアオリンピック陸上競技大会です。当時中学1年生だった諸田実咲さんは走り幅跳びに出場し、5m29を記録して優勝。まだ棒高跳びだけに専念していたわけではなく、走り幅跳びでも全国トップクラスの実力を持っていたことがわかります。
さらに中学3年生になると、女子棒高跳びで日本選手権に出場するほどの選手へ成長しました。諸田実咲さんの中学時代は、現在につながる助走力や跳躍力を磨いた重要な時期だったといえそうですね。
邑楽中と記載されている理由は?
諸田実咲さんの中学を調べると「大泉町立南中学校」だけでなく、「邑楽中(群馬)」という表記も確認できます。日本陸上競技連盟の選手プロフィールでは出身中学が「邑楽中(群馬)」と掲載されているため、検索した方が迷うのも無理はありません。
一方、中学時代の大会記録などでは大泉南中の所属として確認できる記録があります。諸田実咲さんの出身地は「群馬県邑楽郡大泉町」であり、「邑楽」は学校名だけでなく郡名にも使われています。そのため、プロフィール上の表記と当時の所属校の記録に違いが生じている可能性があります。
少なくとも競技当時の記録を基準にすると、諸田実咲さんが通っていた中学は大泉町立南中学校と考えるのが自然です。ただし、公式プロフィールには現在も異なる表記があるため、両方の情報が存在する点は押さえておきたいですね。
諸田実咲は中学時代からすごい!走り幅跳びで日本一
諸田実咲さんの中学時代を振り返ると、棒高跳びだけでなく走り幅跳びでも全国トップレベルだったことがわかります。小学6年生から棒高跳びを始めていますが、中学では走り幅跳びにも取り組みました。現在の棒高跳びにつながるスピードや跳躍力は、中学時代から際立っていたようです。
中学1年で走り幅跳び5m29を記録して優勝
諸田実咲さんは中学1年生だった2011年、ジュニアオリンピック陸上競技大会の走り幅跳びに出場しました。そこで5m29を記録して優勝し、中学1年生にして全国の頂点に立っています。
現在は棒高跳びの選手という印象が強いため、走り幅跳びで日本一になった経歴は意外に感じるかもしれません。棒高跳びでは助走のスピードを生かしてポールに力を伝える必要があり、走力と跳躍力は重要な要素になります。
諸田実咲さんが中学時代に走り幅跳びで磨いたスピードや踏み切りの感覚は、その後の競技人生にも生かされたと考えられます。棒高跳びだけを続けてきた選手ではなく、異なる跳躍種目で全国トップになった経験を持っている点も諸田実咲さんの強みですね。
中学3年で日本選手権の棒高跳び7位
諸田実咲さんは中学3年生だった2013年、第97回日本陸上競技選手権大会の女子棒高跳びに出場しました。驚くことに、出場選手の中で唯一の中学生ながら3m60を跳び、7位に入賞しています。
日本選手権は国内トップクラスの選手が集まる大会です。中学生がシニア選手と同じ舞台に立つだけでも注目されますが、諸田実咲さんは出場だけで終わらず入賞まで果たしました。中学時代から棒高跳びで高い競技力を持っていたことがわかります。
中学1年生では走り幅跳びで全国優勝し、中学3年生では棒高跳びで日本選手権7位。諸田実咲さんの中学時代の成績を見ると、現在の活躍につながる土台が10代前半ですでに築かれていたといえそうですね。
諸田実咲の父は諸田剛!元やり投げ選手で陸上部監督
諸田実咲さんが陸上競技で才能を伸ばした背景には、父・諸田剛さんの存在があります。諸田剛さん自身も陸上競技で活躍した経歴を持ち、競技経験を生かして指導にも携わってきました。諸田実咲さんが棒高跳びを始めたきっかけにも父が深く関係しています。
父・諸田剛は日本インカレのやり投げ優勝者
諸田実咲さんの父・諸田剛さんは、順天堂大学の陸上競技部でやり投げの選手として活躍していました。1982年の第51回日本インカレでは、77m02を記録して男子やり投げで優勝しています。
諸田剛さんは競技者として実績を残した後も陸上競技に携わり、群馬県の樹徳高校陸上競技部で短距離・跳躍・投擲部門の指導を担当してきました。トップレベルで競技した経験だけでなく、選手を育てる立場からも陸上競技を見てきた人物です。
一方、諸田実咲さんも中央大学時代に日本インカレの棒高跳びで優勝しています。父はやり投げ、娘は棒高跳びと種目は違いますが、親子二代で日本インカレ優勝という実績を残しているのは印象的ですね。
父の勧めで小学6年生から棒高跳びを開始
諸田実咲さんが棒高跳びを始めたのは小学6年生のころで、きっかけを作ったのが父・諸田剛さんでした。陸上競技に詳しい諸田剛さんの勧めを受け、諸田実咲さんは早い時期から棒高跳びに挑戦しています。
父・諸田剛さんは諸田実咲さんの跳躍をビデオで撮影し、フォームを一緒に確認していたとされています。自分の動きを映像で客観的に見ながら改善する習慣が幼いころから身についていたことは、技術を磨くうえで大きな経験になったと考えられます。
諸田実咲さんは成長後も助走や踏み切りなどを細かく分析しながら記録を伸ばしています。父から受けた影響は棒高跳びを始めるきっかけだけではなく、自分の跳躍を分析して改善していく姿勢にもつながっているのかもしれませんね。
諸田実咲の高校と大学はどこ?
諸田実咲さんは中学卒業後、群馬県立太田女子高等学校へ進学し、その後は中央大学法学部へ進みました。高校・大学でも棒高跳びの実力を伸ばし、国内大会だけでなく国際大会も経験しています。学生時代を通して着実にトップ選手への階段を上ってきました。
高校は群馬県立太田女子高等学校
諸田実咲さんが進学した高校は、群馬県立太田女子高等学校です。地元・群馬県の高校で競技を続け、高校生になると日本国内だけでなく国際舞台でも経験を積むようになりました。
高校1年生だった2014年には南京ユースオリンピックに挑戦し、アジア予選で銅メダルを獲得。本戦への出場を果たしています。中学3年生で日本選手権に出場した勢いをそのままに、高校でも世代を代表する棒高跳び選手として活躍しました。
さらに2015年には国民体育大会の少年女子棒高跳びで金メダルを獲得しています。諸田実咲さんは中学時代から全国レベルの成績を残していましたが、高校時代には国際大会まで経験し、さらに競技の幅を広げていったことがわかりますね。
大学は中央大学法学部
高校卒業後、諸田実咲さんは中央大学法学部へ進学しました。大学でも棒高跳びを続け、1年生だった2017年と2年生だった2018年には関東インカレで優勝し、連覇を達成しています。
大学4年生だった2020年には日本インカレでも優勝しました。さらに当時の室内日本学生記録となる4m30をマークするなど、学生トップクラスの棒高跳び選手として実績を積み重ねています。
中央大学卒業後は栃木県スポーツ協会を経て、2023年4月にアットホーム株式会社へ入社しました。学生時代に培った競技力を社会人になってからさらに伸ばし、日本記録を何度も更新する選手へ成長していきます。
諸田実咲の年齢や身長などプロフィール
諸田実咲さんは1998年10月6日生まれで、2026年9月現在の年齢は27歳です。出身地は群馬県邑楽郡大泉町で、現在はアットホーム株式会社に所属しています。競技実績に加えて、身長や画像などプロフィールに関する情報にも関心が集まっています。
年齢は27歳で身長は165cm
諸田実咲さんは1998年10月6日生まれで、2026年9月現在は27歳です。身長については、ユース時代の公式記録で165cmとされています。群馬県邑楽郡大泉町出身で、現在は女子棒高跳びのトップ選手として競技を続けています。
大学卒業後は栃木県スポーツ協会に所属し、2023年4月からアットホーム株式会社に入社しました。社会人になってからも競技力は伸び続け、20代半ば以降に日本記録を次々と更新しています。
棒高跳びではスピードや跳躍力に加えて、ポールを扱う技術や空中での身体操作も求められます。諸田実咲さんは中学時代から積み重ねてきた経験を生かし、27歳になった現在も自己ベストを更新している点が印象的ですね。
画像でかわいいと注目される理由
諸田実咲さんについて検索すると「画像」や「かわいい」という言葉も見られます。競技中の真剣な表情だけでなく、跳躍に成功した直後に見せる明るい笑顔や感情豊かなリアクションに注目するファンも多いようです。
棒高跳びは長いポールを使って高いバーを越えるダイナミックな競技です。助走から踏み切りまでは緊張感のある表情を見せますが、バーを越えた後には笑顔やガッツポーズが見られることがあります。競技中との表情の違いも印象に残りやすいのでしょう。
諸田実咲さんの画像を見たい場合は、所属先や競技団体などが公開している写真を確認すると、競技中の姿も見ることができます。アスリートとしての実力はもちろん、自然な表情にも注目が集まっている選手ですね。
諸田実咲は両手首を骨折!世界陸上で復活
諸田実咲さんの競技人生で大きな試練となったのが、2025年に経験した両手首の骨折です。棒高跳びではポールを握る手首が非常に重要ですが、諸田実咲さんはリハビリを重ねて競技へ復帰。東京で開催された世界陸上の舞台にも立ちました。
アジア選手権で両手首を骨折
2025年、諸田実咲さんは国際大会での競技中に大きなアクシデントに見舞われました。悪天候の中で着地マットの外へ落下し、両手首を骨折する大けがを負っています。
棒高跳びでは助走からポールを突き、身体を持ち上げてバーを越えます。両手でポールを扱うため、両手首の骨折は競技を続けるうえで非常に大きな負傷でした。諸田実咲さん自身も、世界陸上への出場が難しい状況だったことを明かしています。
それでも諸田実咲さんは東京で開催される世界陸上を目標にリハビリを続けました。日本記録を持つトップ選手が大きなけがからどこまで戻れるのか、復帰への過程にも大きな注目が集まりました。
骨折から復帰して東京世界陸上に出場
諸田実咲さんは両手首の骨折から復帰し、2025年9月の東京世界陸上で女子棒高跳びの日本代表として出場しました。予選では4m25をクリアし、B組14位。決勝進出には届きませんでしたが、大けがを乗り越えて世界の舞台で跳躍を成功させました。
諸田実咲さんにとって東京大会は初めて挑む世界陸上でした。けがからの復帰と世界大会への挑戦が重なった状況で、実際にバーを越えられたことへの安堵や、支えてくれた人への感謝を競技後に語っています。
そして復帰後は再び日本記録を更新するまで競技力を高めました。骨折から世界陸上への出場、さらに自己ベスト更新へとつながった流れを見ると、2025年の経験は諸田実咲さんの競技人生における大きな転機だったといえそうです。
諸田実咲のベストは4m51!日本記録を更新
諸田実咲さんの屋外での自己ベストは、2026年9月に記録した4m51です。2023年に4m41の日本記録を樹立して以降、記録を着実に伸ばしてきました。両手首の骨折を経験した後にも自己ベストを更新していることから、技術面での進化が続いていることがわかります。
2023年以降に日本記録を次々と更新
諸田実咲さんは2023年4月、中大・日体大定期対抗陸上で4m41を跳び、日本記録を樹立しました。同年10月の杭州アジア大会では4m48の日本新記録をマークして銀メダルを獲得しています。
2024年2月には日本室内陸上競技大阪大会で4m35を跳び、室内日本記録を更新。2025年の両手首骨折という大きな試練を乗り越えた後、2026年5月の木南道孝記念では4m50を成功させ、屋外の日本記録をさらに伸ばしました。
そして2026年9月の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会では4m51を1回目の跳躍でクリアし、自身が持つ日本記録を1cm更新しました。諸田実咲さんは年齢を重ねながら記録を伸ばし続けています。
4m60台にも挑戦する日本女子棒高跳びのトップ選手
4m51を成功させた後、諸田実咲さんはさらに高い4m61にも挑戦しています。成功には至りませんでしたが、日本女子選手として4m60台を視野に入れる段階まで競技力を高めています。
2026年の競技では、助走や踏み切りが完璧ではない跳躍でもバーを越えられる場面がありました。長年培ってきたポール操作や空中での身体コントロールによって、跳躍全体をまとめる技術が向上していることがうかがえます。
中学時代に走り幅跳びで全国優勝したスピード、父・諸田剛さんと研究してきたフォーム、そして社会人になってから磨いた技術が現在の記録につながっているのでしょう。自己ベスト4m51の先にどのような記録を残すのか、今後も注目したいですね。
諸田実咲の中学や父・経歴まとめ
当記事では諸田実咲さんの中学や父、高校・大学、骨折からの復帰、自己ベストについて紹介しました。諸田実咲さんの中学については、競技当時の記録から大泉町立南中学校に在籍していたことが確認できる一方、公式プロフィールには「邑楽中」という異なる表記もあります。
中学1年生では走り幅跳びで5m29を記録して全国優勝し、中学3年生では棒高跳びの日本選手権で7位に入賞しました。父・諸田剛さんは元やり投げ選手で、諸田実咲さんが小学6年生で棒高跳びを始めるきっかけにもなっています。高校は太田女子高校、大学は中央大学法学部へ進み、学生時代から数々の大会で活躍しました。
2025年には両手首を骨折する大けがを経験しましたが、東京世界陸上へ復帰。2026年9月には自己ベストとなる4m51の日本記録を樹立しています。諸田実咲さんの中学時代から続く挑戦を知ると、これからの記録更新にも期待が高まりますね。










コメント