大学駅伝の強豪・駒澤大学で活躍する村上響選手は、広島県立世羅高校の出身です。
世羅高校といえば全国高校駅伝で何度も優勝している名門校ですが、村上響選手も高校2年生だった2021年の全国大会で優勝に貢献しました。しかも、急きょ任されたアンカーの7区で区間賞を獲得した実績があります。
村上響選手が世羅高校でどんな成績を残したのか、気になりますよね。また、駒澤大学に進学した理由や、出身中学校・小学校についても知りたいところです。
さらに、村上響選手の身長や、箱根駅伝で経験したブレーキと怪我についても注目が集まっています。
そこで当記事では、村上響選手の世羅高校時代の大会成績を中心に、駒澤大学での活躍や学生時代の経歴を紹介します。駅伝の記録は表に整理し、全国優勝につながったエピソードも詳しく振り返っていきます。
- 村上響の世羅高校時代の成績と全国高校駅伝での活躍
- 駒澤大学への進学理由と大学駅伝での成績
- 箱根駅伝でのブレーキや怪我の経緯
- 出身中学校・小学校や身長などのプロフィール
村上響は世羅高校時代に全国高校駅伝で優勝!7区で区間賞も
村上響選手は、世羅高校2年生だった2021年の全国高校駅伝で7区の区間賞を獲得し、チームの全国優勝に大きく貢献しました。
さらに高校3年時には、広島県高校総体の5000mで優勝し、広島県高校駅伝でも区間賞を獲得しています。世羅高校ではトラック競技と駅伝の両方で実績を残していたんですね。
2021年の全国高校駅伝で代役アンカーとして区間賞
2021年12月26日に開催された第72回全国高校駅伝で、村上響選手は世羅高校のアンカーとなる7区を担当し、14分22秒で見事に区間賞を獲得しました。
世羅高校は2時間1分21秒で優勝。2年連続、歴代最多となる11回目の全国制覇を達成しました。
実は、村上響選手がアンカーを務めることになった背景には、予想外のアクシデントがありました。本来7区を走る予定だった主将の塩出翔太選手が、大会直前に右太ももを痛めて欠場することになったのです。
そこで大役を任されたのが、当時高校2年生だった村上響選手でした。チームは6区終了時点で後続に24秒の差をつけていましたが、全国優勝が懸かったアンカーの重圧は大きかったはずです。
それでも村上響選手は落ち着いた走りで先頭を守り抜き、区間賞を獲得してゴールしました。世羅高校の優勝タイムは当時の大会記録までわずか3秒という好記録。先輩たちの思いを背負った、印象的なレースになりましたね。
(出典:広島県立世羅高等学校同窓会)
高校3年時の5000mや駅伝での主な成績
高校3年生になった2022年、村上響選手は世羅高校の中心選手として、トラック競技でも好成績を残しています。
広島県高校総体の5000mでは14分34秒38で優勝。中国高校総体でも5位に入り、全国高校総体への出場を果たしました。
さらに10月の国民体育大会では、5000mで14分03秒91という好タイムを記録して13位に入っています。
村上響選手が世羅高校時代に残した主な大会成績を、表にまとめました。
| 年月 | 大会・種目 | 順位 | 記録 |
|---|---|---|---|
| 2021年11月 | 広島県高校駅伝・4区 | 区間1位 | 24分31秒 |
| 2021年12月 | 全国高校駅伝・7区 | 区間1位 | 14分22秒 |
| 2022年5月 | 広島県高校総体・5000m | 1位 | 14分34秒38 |
| 2022年6月 | 中国高校総体・5000m | 5位 | 14分38秒15 |
| 2022年10月 | 国民体育大会・5000m | 13位 | 14分03秒91 |
| 2022年11月 | 広島県高校駅伝・1区 | 区間1位 | 29分39秒 |
| 2022年12月 | 全国高校駅伝・1区 | 区間23位 | 30分25秒 |
(出典:栃木県)
11月の広島県高校駅伝では、エースが集まる1区10kmを29分39秒で走り、区間賞を獲得しました。
一方、12月の全国高校駅伝では1区23位という結果でした。前年の区間賞には届きませんでしたが、チームの先頭を走る重要な役割を任されていたことがわかります。
私としては、世羅高校時代に全国優勝と区間賞を経験し、さらに長い距離のエース区間を走ったことが、駒澤大学での競技生活にもつながっているのではないかと思います。
村上響が世羅高校から駒澤大学に進学した理由は?
村上響選手が世羅高校から駒澤大学への進学を決めたきっかけは、世羅高校の先輩である吉本真啓さんの存在でした。
2023年4月に駒澤大学へ入学した村上響選手は、大学2年時から全日本大学駅伝や箱根駅伝に出場しています。高校時代から培ってきた安定した走りを武器に、強豪校で着実に経験を積んできました。
進学のきっかけは先輩の吉本真啓
村上響選手が駒澤大学を選んだ大きなきっかけは、世羅高校の先輩である吉本真啓さんからの電話でした。
高校2年生だった2021年の全国高校駅伝が終わった夜、吉本真啓さんから進学先について連絡があったそうです。当時の吉本真啓さんは駒澤大学に所属しており、後輩の進路を気にかけていました。
村上響選手は進路について考える中で、駒澤大学で競技を続けたいという思いを固めたといいます。

吉本真啓さんが世羅高校まで足を運んで話をしてくれたことも、進学を考える上で心強かったのではないでしょうか。
村上響選手は、厳しい練習で知られる駒澤大学に対して、以前から力強いチームという印象を持っていたそうです。
全国高校駅伝で優勝を経験した世羅高校の選手が、大学駅伝でも優勝を目指せる環境へ進んだというわけですね。



先輩とのつながりが新しい挑戦につながった、印象的なエピソードです。
全日本大学駅伝や箱根駅伝での主な成績
駒澤大学に進学した村上響選手は、大学2年生だった2024年の全日本大学駅伝で三大駅伝デビューを果たしました。
5区を担当して区間5位に入ると、同年11月の上尾シティハーフマラソンでも好走。2025年1月には箱根駅伝の9区を任され、区間5位の成績を残しています。
さらに2025年11月の全日本大学駅伝では、6区で区間2位となり、駒澤大学の総合優勝に貢献しました。



世羅高校時代からの駅伝経験が、大学でも結果につながっていますね。
村上響選手の大学での主な大会成績を表にまとめました。
| 年月 | 大会・種目 | 順位 | 記録 |
|---|---|---|---|
| 2023年9月 | 日体大長距離競技会・5000m | 組10着 | 14分00秒88 |
| 2024年11月 | 全日本大学駅伝・5区 | 区間5位 | 36分28秒 |
| 2024年11月 | 上尾シティハーフマラソン | 大学生3位 | 1時間02分04秒 |
| 2025年1月 | 箱根駅伝・9区 | 区間5位 | 1時間09分04秒 |
| 2025年11月 | 全日本大学駅伝・6区 | 区間2位 | 37分22秒 |
| 2026年1月 | 箱根駅伝・4区 | 区間19位 | 1時間03分24秒 |
| 2026年5月 | 日体大長距離競技会・5000m | 組6着 | 14分06秒60 |
2026年の箱根駅伝では苦しい結果となりましたが、それ以前には複数の大学駅伝で区間上位に入っています。
特に2025年の全日本大学駅伝で見せた安定した走りは、村上響選手の強みを示すレースだったといえそうです。
篠原倖太朗との関係や給水エピソード
村上響選手が駒澤大学で強く尊敬していた先輩の一人が、2024年度に主将を務めた篠原倖太朗選手です。
篠原倖太朗選手は競技への取り組みだけでなく、チームをまとめる姿勢でも村上響選手に大きな影響を与えました。
特に印象的なのが、2025年1月の箱根駅伝での出来事です。9区を走った村上響選手に対して、篠原倖太朗選手が給水係として飲み物を手渡しました。
進学のきっかけとなった吉本真啓さんも給水に携わっており、村上響選手にとって大切な先輩たちと箱根路を走る貴重な経験になったそうです。
その後、2026年度の駒澤大学陸上競技部で主将に就任した村上響選手は、篠原倖太朗選手や前主将の山川拓馬選手から学んだことを、チーム運営にも生かそうとしています。



先輩に支えられてきた村上響選手が、今度は後輩たちを支える立場になったという成長の過程も興味深いですね。
村上響が箱根駅伝でブレーキした理由は?
村上響選手が2026年の箱根駅伝でブレーキした理由には、レース中に右足首やかかとに痛みが生じたことが関係しています。
それまで安定した走りを見せてきただけに、突然の失速に驚いた駅伝ファンも多かったのではないでしょうか。



結果だけでなく、当日の状況を振り返ると、厳しいアクシデントがあったことがわかります。
2026年の箱根駅伝4区で区間19位に失速
2026年1月2日に開催された第102回箱根駅伝で、村上響選手は駒澤大学の4区を担当しました。
駒澤大学は往路で上位争いを展開しており、村上響選手は3位でタスキを受け取りました。しかし、レース後半にペースが落ち、区間19位の1時間03分24秒という結果になりました。
チームの順位も4区終了時点で7位へ後退。前年度の箱根駅伝で9区5位だった村上響選手にとって、悔しいレースになったことは間違いありません。
ただし、今回のブレーキは単純に走力が足りなかったという話ではありません。レース前の状態は良好だったものの、走り始めてから予期しない痛みに襲われたことが明らかになっています。
村上響選手は最後まで走り切り、駒澤大学のタスキを次の選手へつなぎました。順位は落としてしまいましたが、途中棄権せずに役割を果たそうとした姿勢には、駅伝に対する強い責任感が感じられますね。
ブレーキの原因はレース中に起きた右足首の痛み
村上響選手が箱根駅伝4区で失速した主な要因は、10km付近から右足首とかかとに痛みが出たことでした。
レースの前半は予定していたペースで走れていましたが、途中から痛みが強くなり、思うようにスピードを維持できなくなったそうです。
駒澤大学の藤田敦史監督も、急激なペースダウンを見て異変を感じたと振り返っています。通常ならペースを上げたい場面でも、身体の状態が許さなかったわけですね。
実は、村上響選手は2025年3月のニューヨークシティハーフマラソンでも、同様の症状により途中棄権を経験していました。箱根駅伝では過去に経験した痛みが再び現れたとされています。
競技を途中でやめる選択肢もあったと考えられますが、村上響選手はタスキをつなぐことを優先しました。駅伝という団体競技ならではの難しさを感じる出来事だったのではないでしょうか。
村上響の怪我は治った?復帰状況と現在の活動
村上響選手は2026年の箱根駅伝で右足を痛めた後、時間をかけて回復に取り組み、5月には競技会への復帰を果たしました。
ただし、レースに出場できたことと、怪我が完全に治ったことは別です。2026年10月時点では全日本大学駅伝のチーム登録メンバーに名前があり、大学最後の駅伝シーズンでの活躍が期待されています。
怪我からの回復と2026年5月の実戦復帰
村上響選手は箱根駅伝で負った怪我の影響により、2026年春のトラックシーズンで思うようにレースへ出場できない時期が続きました。
藤田敦史監督は無理に練習を再開させるのではなく、十分な回復期間を設ける方針を取っていました。
3月上旬にはジョギングができる状態まで回復し、3月下旬には少しずつ練習内容を増やせるようになったといいます。
そして5月31日、日本体育大学長距離競技会の5000mに出場し、14分06秒60を記録しました。長期間レースから離れていた村上響選手にとって、実戦への復帰を示す結果となりました。
一方、村上響選手自身は8月上旬のインタビューで、コンディションについて厳しい評価をしていました。そのため、5月の出場だけをもって怪我が完全に治ったと断定することはできません。
私としては、大学最後の駅伝シーズンを見据えて、焦らず状態を整えることが大切なのではないかと思います。
駒澤大学の主将就任と2026年秋の駅伝エントリー状況
村上響選手は2026年度、駒澤大学陸上競技部の主将に就任しました。
村上響選手が大学4年生となった2026年度は、強力な先輩たちが卒業した後の新しいチームをまとめる重要なシーズンです。自身のコンディションに不安を抱えながらも、主将として活動しています。
そして10月7日に発表された第58回全日本大学駅伝の暫定エントリーでは、村上響選手が16人の登録メンバーに入りました。
大会は2026年11月1日に開催予定で、10月29日に区間エントリーが発表される予定です。10月25日時点では村上響選手の出走区間や本番での出場は確定していません。
世羅高校時代には代役のアンカーとして全国優勝を経験した村上響選手。



今度は駒澤大学の主将として、チームをどのように支えていくのか注目ですね。
村上響の中学校は福山市立鷹取中学校
村上響選手の出身中学校は、広島県福山市にある福山市立鷹取中学校です。
陸上競技を始めたのも中学生の頃で、最初から長距離を専門にしていたわけではありません。友人からの誘いをきっかけに陸上を始め、短距離から長距離へ転向した後に実力を伸ばしました。
中学3年時には広島県代表として全国都道府県対抗男子駅伝にも出場しています。
陸上を始めたきっかけは友人からの誘い
村上響選手が本格的に陸上競技を始めたのは、福山市立鷹取中学校に通っていた頃です。
きっかけは友人から誘われたことで、最初は短距離走に取り組んでいたといいます。その後、周囲から長距離への転向を勧められ、本格的に長距離走の練習を始めました。
現在は大学駅伝で活躍する長距離ランナーですが、中学入学当初から長距離一筋だったわけではないんですね。
短距離走では瞬発力やスピードが求められ、長距離走では持久力やペース配分も重要になります。競技の特徴は異なりますが、短距離で経験したスピード練習が、長距離への転向後に役立った可能性も考えられます。
ただし、短距離経験が現在の走力にどれほど影響しているかは、本人が明確に説明しているわけではありません。
友人からの誘いで始めた陸上競技が、世羅高校での全国優勝や駒澤大学への進学につながったと考えると、興味深いエピソードですね。
中学時代の3000mの記録と全国駅伝出場
村上響選手は中学校で長距離走に転向してから、1500mや3000mで着実に記録を伸ばしました。
中学3年生だった2019年には、広島県中学校陸上競技選手権の3000mで8分57秒43を記録し、3位に入っています。
さらに2020年1月には、全国都道府県対抗男子駅伝の広島県代表に選ばれ、6区を走りました。
中学校時代の主な成績を表にまとめました。
| 年月 | 大会・種目 | 順位 | 記録 |
|---|---|---|---|
| 2018年7月 | 広島県中学校通信陸上・3000m | 4位 | 9分01秒01 |
| 2019年7月 | 広島県中学校陸上選手権・3000m | 3位 | 8分57秒43 |
| 2020年1月 | 全国都道府県対抗男子駅伝・6区 | 区間30位 | 9分03秒 |
全国都道府県対抗男子駅伝での順位は区間30位でしたが、中学生の段階で広島県代表として全国大会を経験したことは、大きな財産になったのではないでしょうか。
その後、全国高校駅伝の強豪である世羅高校に進学し、高校2年生で全国優勝と区間賞を達成しました。
村上響選手の競技歴を振り返ると、中学校時代の長距離への転向が、駅伝選手として成長する出発点だったことがわかります。
村上響の出身小学校はどこ?
村上響選手の出身小学校については、本人のものと確認できる公式プロフィールで学校名が明記されていないため、確定できません。
村上響選手は広島県福山市の出身で、中学校は福山市立鷹取中学校に通っていました。ただし、中学校の所在地がわかったからといって、出身小学校まで特定できるわけではありません。
一部のインターネット記事では箕島小学校という名前も見られますが、村上響選手本人が通っていたと裏付けられる確かな情報は確認できませんでした。
同姓同名の人物が別の記録に掲載されている場合もあるため、学校名だけで同一人物と判断するのは避けたいところです。
また、村上響選手が本格的に陸上競技を始めたのは中学校時代とされており、小学生の頃の陸上大会での記録も明らかになっていません。
現在確認できる学生時代の経歴を整理すると、出身小学校は未確認、出身中学校は福山市立鷹取中学校、出身高校は広島県立世羅高校です。
今後、村上響選手本人のインタビューなどで小学校時代のエピソードが紹介される可能性もありますね。
村上響の身長は何cm?体重やプロフィールも紹介
村上響選手の身長や体重については、駒澤大学の公式選手プロフィールに数値が掲載されていないため、正確な数値は確認できませんでした。
一方、生年月日や出身高校、5000mなどの自己ベスト記録は公式に紹介されています。村上響選手の基本プロフィールと主な競技記録を整理しました。
身長と体重の公表状況
村上響選手の身長と体重は、2026年10月時点で確認できる駒澤大学陸上競技部の公式プロフィールには掲載されていません。
インターネット上では身長166.5cm、体重50kgという情報が見られることがあります。また、別の数値を掲載するサイトもあり、情報が一致していません。
そのため、身長166.5cm、体重50kgを公式に確定したプロフィールとして扱うことはできません。
村上響選手は世羅高校時代から駅伝で活躍しており、大学進学後も長い距離で安定した走りを見せています。
特に2025年の全日本大学駅伝では6区で区間2位となり、駒澤大学の優勝に貢献しました。身長や体重だけでなく、競技歴やレースでの結果にも目を向けたいですね。
将来、公式の選手紹介やインタビューで身長・体重が公表されれば、より正確なプロフィールを確認できるようになるでしょう。
生年月日や出身地と自己ベスト記録
村上響選手は2004年4月18日生まれで、広島県福山市出身の長距離ランナーです。
世羅高校を卒業した後、2023年4月に駒澤大学へ進学しました。2026年度は文学部地理学科の4年生として、陸上競技部の主将を務めています。
村上響選手の基本プロフィールと自己ベストを表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 村上響(むらかみ ひびき) |
| 生年月日 | 2004年4月18日 |
| 出身地 | 広島県福山市 |
| 出身中学校 | 福山市立鷹取中学校 |
| 出身高校 | 広島県立世羅高校 |
| 大学 | 駒澤大学 |
| 学部・学科 | 文学部地理学科 |
| 身長 | 公式には確認できず |
| 体重 | 公式には確認できず |
| 5000m自己ベスト | 14分00秒88 |
| 10000m自己ベスト | 29分13秒89 |
| ハーフマラソン自己ベスト | 1時間01分46秒 |
5000mの自己ベスト14分00秒88は、2023年9月の日本体育大学長距離競技会で記録したものです。
また、10000mでは2025年10月に29分13秒89、ハーフマラソンでは2025年2月に1時間01分46秒を記録しています。
5000mからハーフマラソンまで幅広い距離で実績があることも、村上響選手の特徴です。
私としては、世羅高校で培った駅伝経験と、駒澤大学で積み重ねた競技経験の両方が、村上響選手の強みになっていると感じます。
村上響の世羅高校時代から駒澤大学までのまとめ
当記事では、村上響選手の世羅高校時代の成績や、出身中学校・小学校、駒澤大学での活躍について紹介しました。
村上響選手は世羅高校2年生だった2021年の全国高校駅伝で、急きょアンカーの7区を任され、区間賞を獲得して全国優勝に貢献しています。高校3年時にも5000mや高校駅伝で実績を残しました。
出身中学校は福山市立鷹取中学校で、友人からの誘いをきっかけに陸上競技を始めています。一方、出身小学校や正確な身長・体重は、公式情報では確認できませんでした。
駒澤大学では先輩の吉本真啓さんとのつながりをきっかけに進学し、全日本大学駅伝や箱根駅伝で活躍しています。
2026年の箱根駅伝では右足の痛みによるブレーキを経験しましたが、5月には競技会に復帰。現在は駒澤大学の主将としてチームを率いています。
世羅高校時代に全国優勝を経験した村上響選手が、大学最後の駅伝シーズンでどんな走りを見せるのか、これからも注目していきたいですね。










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