川崎ブレイブサンダースで活躍する山内ジャヘル琉人選手について調べると、

「弟は誰?」



「山内シャリフ和哉選手とは兄弟なの?」
と気になる人も多いようです。
高校時代には同じ「山内」姓の選手と一緒に全国の舞台で活躍していたため、兄弟だと思った人もいるかもしれませんね。
山内ジャヘル琉人選手には、山内リザク琉衣選手という実の弟がいます。
しかも弟もバスケットボール選手で、兄と同じ大東文化大学へ進学しています。一方、高校時代のチームメイトだった山内シャリフ和哉選手は実の弟ではありません。
そこで当記事では、山内ジャヘル琉人選手の弟を中心に、山内シャリフ和哉選手との関係や小学校・中学・高校・大学までの経歴、日本代表、怪我について紹介します。
- 山内ジャヘル琉人選手の弟・山内リザク琉衣選手について
- 山内シャリフ和哉選手との本当の関係
- 山内ジャヘル琉人選手の出身や小学校・中学・高校・大学
- 日本代表での活躍や怪我について
山内ジャヘル琉人の弟は山内リザク琉衣
川崎ブレイブサンダース 山内ジャヘル琉人選手が2026年夏に開催予定の各種大会に向けた第1次強化合宿のメンバーに選出されましたのでお知らせいたします。
— 川崎ブレイブサンダース⚡️川崎からバスケの未来を⚡️ (@brave_thunders) May 28, 2026
なお、第1次強化合宿はアジア競技大会の選考およびディベロップメントキャンプになります。
詳細はこちら👉https://t.co/lSXJLVOfzQ https://t.co/I6vRZxTb21 pic.twitter.com/osGYoGbsp5
山内ジャヘル琉人選手の実の弟は、山内リザク琉衣選手です。
山内リザク琉衣選手も兄と同じくバスケットボール選手として競技を続けており、高校卒業後には大東文化大学へ進学しています。
兄弟そろって高いレベルでバスケットボールを続けているため、今後は兄弟それぞれの活躍にも注目が集まりそうですね。まずは山内リザク琉衣選手のプロフィールや経歴から詳しく見ていきます。
山内リザク琉衣のプロフィールと高校・大学
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 山内リザク琉衣 |
| 生年月日 | 2005年3月11日 |
| 出身 | 沖縄県 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 90kg |
| ポジション | シューティングガード(SG)・スモールフォワード(SF) |
| 高校 | 飛龍高校 |
| 大学 | 大東文化大学 |
| 背番号 | 35 |
| 兄 | 山内ジャヘル琉人 |
山内ジャヘル琉人選手の弟・山内リザク琉衣選手は、2005年3月11日生まれのバスケットボール選手です。
沖縄県出身で、身長188cm、体重90kg。シューティングガードやスモールフォワードとしてプレーしています。
高校は静岡県のバスケットボール強豪校として知られる飛龍高校へ進学しました。沖縄県を離れて競技に打ち込み、高校卒業後は大東文化大学の男子バスケットボール部へ進んでいます。兄の山内ジャヘル琉人選手も大東文化大学出身なので、弟も兄と同じ大学を選んだことになりますね。
大東文化大学では背番号35番を着用してプレーしており、大学バスケの舞台で経験を積んでいます。兄弟で高校は異なるものの、最終的に同じ大学のユニフォームを着ることになった点も興味深いところです。



山内ジャヘル琉人選手は大学からBリーグへ進んでいるだけに、山内リザク琉衣選手が大学卒業後にどのような進路を選択するのかも気になりますね。
兄弟そろってバスケットボール選手として活躍
山内ジャヘル琉人選手と弟の山内リザク琉衣選手は、幼い頃から互いに支え合って成長してきた兄弟です。
兄弟はアメリカ人の父親と日本人の母親を持ち、幼少期を沖縄県で過ごしました。
山内ジャヘル琉人選手は幼い頃、周囲との容姿の違いから内気になりかけた時期があり、バスケットボールが自分らしく感情を表現できる大切な場所になったと明かしています。
弟の山内リザク琉衣選手も同じ家庭環境で育ったことから、兄弟だからこそ共有できる思いもあったのかもしれません。
その後、兄は沖縄県から宮城県の仙台大学附属明成高校へ、弟は静岡県の飛龍高校へ進みました。それぞれ別の強豪校でバスケットボールに打ち込みながら、弟は最終的に兄と同じ大東文化大学へ進学しています。
山内ジャヘル琉人選手が川崎ブレイブサンダースでプロとして活躍している姿は、弟にとって大きな刺激になっていると考えられます。



兄弟そろってバスケットボールの道を歩んでいる点は、山内兄弟ならではの注目ポイントですね。
山内ジャヘル琉人と山内シャリフ和哉は兄弟ではない
結論からいうと、山内ジャヘル琉人選手と山内シャリフ和哉選手は兄弟ではありません。
2人は仙台大学附属明成高校でともにプレーした同級生で、ウインターカップ2020の優勝を経験したチームメイトです。
同じ山内姓で名前にも共通した印象があるため、兄弟だと思われることがありますが、出身地も異なります。山内ジャヘル琉人選手の実の弟は、前述した山内リザク琉衣選手です。
ウインターカップでダブル山内として注目
山内ジャヘル琉人選手と山内シャリフ和哉選手が兄弟だと思われる大きな理由は、高校時代に同じチームで全国大会に出場していたことです。
山内ジャヘル琉人選手は沖縄県出身、山内シャリフ和哉選手は愛知県出身で、それぞれ仙台大学附属明成高校へ進学しました。
高校3年生だった2020年には、2人そろってウインターカップに出場。山内ジャヘル琉人選手は背番号10、山内シャリフ和哉選手は背番号17を着け、チームの全国制覇に貢献しています。



名字が同じうえ、同学年で同じ強豪校に所属していたため、兄弟説が広がったのも不思議ではありませんね。
しかし、2人に兄弟という関係はなく、高校時代に苦楽をともにしたチームメイトという関係です。実際の出身地を見ても異なっており、山内ジャヘル琉人選手の弟と山内シャリフ和哉選手を混同しないよう注意したいところです。
ウインターカップ2020では仙台大学附属明成高校が東山高校を破って優勝しており、2人は高校最後の全国大会で日本一を経験しました。まさに同じ目標を追い続けた戦友といえるでしょう。
山内シャリフ和哉の大学や現在
山内シャリフ和哉選手は仙台大学附属明成高校を卒業した後、東京成徳大学へ進学しています。
中学校は愛知県の佐織西中学校で、高校進学を機に宮城県へ移り、全国トップクラスの環境でバスケットボールに取り組みました。
高校時代は身長192cmのサイズを生かし、パワーフォワードとしてプレー。山内ジャヘル琉人選手らとともに挑んだウインターカップ2020では、決勝で東山高校との接戦を制し、全国優勝を経験しました。
東京成徳大学への進学後も男子バスケットボール部で競技を続け、関東大学バスケットボール連盟の公式戦に出場しています。高校卒業後もバスケットボールを続けてきた点は、山内ジャヘル琉人選手と共通していますね。
なお、山内シャリフ和哉選手の最新の所属については、確認できる公式発表を基準に判断する必要があります。少なくとも「山内ジャヘル琉人選手の弟」という情報は誤りで、2人は仙台大学附属明成高校時代のチームメイトです。
山内ジャヘル琉人の出身や小学校・中学は?
山内ジャヘル琉人選手はアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、幼い頃に沖縄県へ移り住みました。小学校は那覇市立泊小学校、中学校は那覇市立那覇中学校へ進学しています。
現在の力強いプレーからは意外ですが、中学時代は全国的に知られた選手ではありませんでした。山内ジャヘル琉人選手が強豪校へ進むまでには、バスケットボールへの強い情熱と行動力があったのです。
出身は沖縄県で小学校時代からバスケに夢中
山内ジャヘル琉人選手は幼少期を沖縄県で過ごし、小学生の頃からバスケットボールに夢中になりました。那覇市立泊小学校に通っていた小学1年生の頃、バスケットボール好きの叔父からNBAの映像を見せてもらったことが、競技に興味を持つきっかけだったとされています。
当初は母親と「小学3年生になったらチームに入る」という約束をしていました。
しかし、山内ジャヘル琉人選手は待ち切れず、自分から母親にお願いして小学2年生の冬に地元のミニバスケットボールチームへ加入しました。
チームの練習だけでは物足りず、練習後にも叔父と公園へ行き、ドリブルやシュートを繰り返していたそうです。遊びに出かけるときにもボールを持っていくほど、生活の中心にはいつもバスケットボールがありました。
山内ジャヘル琉人選手の現在につながる土台は、特別な環境だけで作られたわけではありません。



沖縄でボールを追い続けた小学生時代の積み重ねが、その後の成長を支えたと考えられますね。
中学時代は成長痛に苦しんだ無名選手
山内ジャヘル琉人選手は那覇市立那覇中学校へ進学しましたが、中学時代から全国区のスターだったわけではありません。所属チームは県大会で早期敗退することもあり、山内ジャヘル琉人選手自身も県選抜に選ばれるような選手ではありませんでした。
さらに中学時代には、膝に痛みが出るオスグッド・シュラッター病にも悩まされたとされています。
成長期に起こりやすい症状とはいえ、思うようにプレーできない時期は、バスケットボールに打ち込んでいた山内ジャヘル琉人選手にとって苦しい経験だったでしょう。
それでも中学3年生になると、バスケットボールでさらに上を目指すことを決意します。
進学先として目を向けたのが、全国屈指の強豪だった宮城県の仙台大学附属明成高校でした。
目立った全国実績がない状況から強豪校への進学を目指した点に、山内ジャヘル琉人選手の行動力が表れています。
中学時代の実績より、その後に自らチャンスをつかみにいった姿勢が大きな転機になりました。
山内ジャヘル琉人の高校は仙台大学附属明成高校
山内ジャヘル琉人選手が大きく飛躍したのが、仙台大学附属明成高校での3年間です。中学時代に全国的な実績がほとんどなかった山内ジャヘル琉人選手ですが、自ら強豪校への道を切り開きました。
高校3年生ではウインターカップ2020で全国優勝を達成。大会ベスト5にも選ばれ、その後の大学、プロへと続くキャリアにつながる大きな実績を残しています。
佐藤久夫監督への直訴から入学へ
山内ジャヘル琉人選手の高校進学で印象的なのが、仙台大学附属明成高校への強いアピールです。中学時代に全国レベルの実績がなかった山内ジャヘル琉人選手は、当時チームを率いていた佐藤久夫監督に自ら手紙を書き、入学したいという思いを伝えました。
強豪校で自分を鍛え、将来活躍できる選手になりたいという意志を示したことで、仙台で練習に参加する機会を得ます。ただ、最初から順調に入部が決まったわけではなく、実力不足を指摘される厳しい経験もしたとされています。
それでも山内ジャヘル琉人選手は諦めず、再び体育館へ足を運んで練習参加をお願いしました。中学時代に目立った実績がない選手にとって、全国屈指の強豪校へ飛び込むこと自体が大きな挑戦だったはずです。
最終的には熱意が認められ、仙台大学附属明成高校でバスケットボールを続ける道が開けました。



自分から環境を変えるために動いた経験が、山内ジャヘル琉人選手のキャリアを大きく変えたといえますね。
ウインターカップで全国制覇を達成
山内ジャヘル琉人選手は高校3年生だった2020年、ウインターカップで全国制覇を達成しました。
新型コロナウイルスの影響でインターハイが中止となるなか、ウインターカップは高校生活を締めくくる重要な全国大会となりました。
決勝の相手は東山高校。仙台大学附属明成高校は苦しい展開から追い上げ、劇的な逆転勝利で日本一に輝きました。山内ジャヘル琉人選手も勝負どころで3ポイントシュートを決めるなど、攻守に存在感を発揮しています。
この大会では山内シャリフ和哉選手も同じチームでプレーしていました。同じ山内姓の2人が全国優勝を経験したことが、後に「兄弟なのでは?」という疑問につながったと考えられます。
山内ジャヘル琉人選手は大会ベスト5にも選出されました。中学時代には全国的に無名だった選手が、高校最後の全国大会で日本一と個人賞を手にしたことは、大きな飛躍だったといえるでしょう。
山内ジャヘル琉人は大東文化大学からプロ入り
高校で全国制覇を経験した山内ジャヘル琉人選手は、大東文化大学へ進学しました。大学バスケでも早い段階から出場機会をつかみ、190cm前後のサイズと身体能力を生かしたディフェンスやドライブを武器に成長しています。
大学在学中には川崎ブレイブサンダースへ特別指定選手として加入。その後も契約を重ね、プロの舞台へとキャリアを進めました。
大学時代から主力として活躍
山内ジャヘル琉人選手は大東文化大学への進学後、大学1年生から試合経験を積み、チームの中心選手へ成長しました。高校時代に磨いたディフェンス力に加え、強いフィジカルを生かしたドライブなども武器となっています。
大学2年時には関東大学バスケットボール新人戦や全日本大学バスケットボール新人戦で優勝を経験。3年時には関東大学リーグ戦で優秀選手賞を受賞するなど、大学トップレベルの舞台で存在感を高めました。
大学4年時にもインカレで上位進出を経験し、天皇杯では大学チームの一員としてベスト4進出に貢献しています。高校時代の全国制覇だけで終わらず、大学でも継続して実績を積み上げた点が特徴です。
さらに山内ジャヘル琉人選手は食生活にも気を配り、身体づくりを続けてきました。大学時代は技術だけでなく、プロを見据えたフィジカルや自己管理の意識を高めた期間でもあったといえますね。
川崎ブレイブサンダースでプロキャリアをスタート
山内ジャヘル琉人選手は大学在学中に川崎ブレイブサンダースへ特別指定選手として加入し、Bリーグでのキャリアをスタートしました。大学バスケとは異なるプロの強度を経験しながら、持ち味であるディフェンスを武器に出場機会を増やしています。
プロの舞台では、身体能力だけでなく状況判断も重要になります。山内ジャヘル琉人選手も、ボールを受ける前から相手ディフェンスの動きを確認し、攻撃するのか別の選択肢を取るのかを判断することを意識していると語っています。
特に重視しているのがディフェンスです。守備でチームに貢献することをプレータイム獲得の土台と考え、そのうえでオフェンスの課題に取り組む姿勢を示しています。
大学からプロへ環境が変わっても、山内ジャヘル琉人選手の強みは努力を積み重ねる姿勢にあるのでしょう。川崎ブレイブサンダースでは、攻守両面で成長を続ける若手選手として注目されています。
山内ジャヘル琉人は日本代表候補にも選出
山内ジャヘル琉人選手はクラブでの活躍だけでなく、日本代表カテゴリーでも経験を積んでいます。大学時代から学生日本代表として国際大会を経験し、その後は男子日本代表候補にも名前を連ねました。
強度の高いディフェンスや身体能力は国際舞台でも生かせる武器です。日本代表での経験は、山内ジャヘル琉人選手がさらに成長するきっかけになりそうですね。
学生時代から世代別日本代表で活躍
山内ジャヘル琉人選手は大東文化大学時代から、日本を代表して国際舞台を経験しています。大学年代で選抜される代表活動を通じ、国内の大学リーグだけでは得られない経験を積み重ねてきました。
代表歴の一つとして、FISUワールドユニバーシティゲームズに臨む日本代表メンバーへの選出があります。また、日韓の学生選手が競う李相佰盃でも日本代表としてプレーし、大学年代を代表する選手の一人として評価されてきました。
山内ジャヘル琉人選手の特徴は、190cm前後のサイズを持ちながら機動力があり、複数のポジションに対応できる点です。特に対人ディフェンスの強さは、相手のレベルが上がる国際試合でも重要な武器になります。
高校、大学と段階を踏んで成長し、代表カテゴリーでも経験を積んだことがプロでのプレーにつながっています。学生日本代表での経験は、A代表を目指すうえでも貴重な土台になったと考えられます。
男子日本代表候補に選ばれ国際試合にも出場
山内ジャヘル琉人選手は2026年夏、男子日本代表の強化活動に参加する候補選手に選出されました。
川崎ブレイブサンダースで積み重ねてきたプレーが評価され、学生カテゴリーからさらに上の日本代表カテゴリーへ進んだ形です。
2026年8月にSAGAアリーナで開催された日本生命カップのモンゴル代表戦にも出場。8月9日の試合では13分3秒プレーし、1得点、2リバウンド、2アシスト、1スティール、1ブロックを記録しました。
得点だけを見ると目立つ数字ではありませんが、山内ジャヘル琉人選手の持ち味はディフェンスを含めた幅広い貢献です。国際試合で経験を積めたことは、クラブでの競争においてもプラスになるでしょう。
山内ジャヘル琉人選手自身も、外国籍選手との競争を意識した目標を語っています。日本代表候補への選出はゴールではなく、より高いレベルで評価される選手を目指す新たなスタートといえそうです。
山内ジャヘル琉人の怪我は右膝蓋腱炎
山内ジャヘル琉人選手はプロとして成長を続ける一方、右膝蓋腱炎による離脱も経験しています。ジャンプやダッシュを繰り返すバスケットボール選手にとって、膝の状態はパフォーマンスを左右する重要なポイントです。
一時は戦列を離れましたが、その後は実戦へ復帰しています。山内ジャヘル琉人選手の怪我から復帰までの流れを確認していきましょう。
右膝蓋腱炎の悪化で戦線離脱
山内ジャヘル琉人選手は右膝蓋腱炎の悪化により、チームを離脱した時期があります。
川崎ブレイブサンダースは2025年12月、山内ジャヘル琉人選手が右膝蓋腱炎と診断されたことを発表しました。
右膝蓋腱炎は、ジャンプ動作などによって膝蓋腱に繰り返し負担がかかることで痛みが生じる症状です。ジャンプ力やスピードを生かしてプレーする山内ジャヘル琉人選手にとって、膝の状態を整えることは非常に重要だったと考えられます。
クラブからの発表では復帰時期について明確な日程が示されず、コンディションを見ながら治療とリハビリを進める状況となりました。シーズン中の離脱だけに、本人にとってもチームにとっても厳しい期間だったでしょう。
それでも焦って復帰するのではなく、まず身体を整えることが長いキャリアには欠かせません。



山内ジャヘル琉人選手にとって、怪我との向き合い方もプロとして成長するための重要な経験になったと考えられます。
復帰後はプレータイムを伸ばして活躍
山内ジャヘル琉人選手は右膝蓋腱炎による離脱を経て、2026年1月に実戦復帰を果たしました。
復帰直後から無理に出場時間を伸ばすのではなく、試合を重ねながら徐々にコンディションを取り戻しています。
山内ジャヘル琉人選手がチーム内で評価されている大きなポイントは、相手の得点源に対するディフェンスです。派手な得点だけを狙うのではなく、相手の中心選手を守る役割を担えることが出場機会につながっています。
2025-26シーズンは前シーズンと比べて平均得点やリバウンド、アシストなどを伸ばしており、プレーの幅も広がりました。怪我による離脱を経験しながらも、復帰後に再び重要な役割を任されている点は注目したいところです。
今後も膝のコンディションには注意が必要ですが、代表活動を含めて活躍の舞台は広がっています。



山内ジャヘル琉人選手が持ち味のディフェンスを武器に、どこまで存在感を高めるのか楽しみですね。
山内ジャヘル琉人の弟や経歴まとめ
当記事では山内ジャヘル琉人選手の弟や山内シャリフ和哉選手との関係、小学校からプロ入り後までの経歴について紹介しました。山内ジャヘル琉人選手の実の弟は、飛龍高校から大東文化大学へ進んだバスケットボール選手の山内リザク琉衣選手です。
一方、山内シャリフ和哉選手は弟ではなく、仙台大学附属明成高校時代のチームメイトです。山内ジャヘル琉人選手は沖縄県で育ち、那覇市立泊小学校、那覇市立那覇中学校を経て仙台大学附属明成高校へ進み、ウインターカップ2020で全国制覇を達成しました。
その後は大東文化大学から川崎ブレイブサンダースへ進み、日本代表候補にも選出されています。右膝蓋腱炎による離脱も経験しましたが、復帰後もディフェンスを武器にプレーを続けています。
兄の山内ジャヘル琉人選手だけでなく、同じバスケットボールの道を歩む弟の山内リザク琉衣選手にも注目したいですね。兄弟がそれぞれどのようなキャリアを築いていくのか、今後の活躍も楽しみです。










コメント