城西大学の陸上競技選手として注目を集める柴田侑さん。大学では箱根駅伝に出場しただけでなく、トラックでも日本学生最高記録を樹立するなど、大きな飛躍を見せています。
そんな柴田侑さんの高校はどこだったのか、高校時代から全国トップクラスの選手だったのか気になりますよね。また、中学や小学校、出身地の豊橋、城西大学へ進学してからの陸上での活躍について知りたい方も多いのではないでしょうか。
柴田侑さんの高校時代を振り返ると、県高校記録を樹立した華やかな時期だけでなく、貧血や体重減少によって満足に走れなかった苦しい時期もありました。そこで当記事では、柴田侑さんの高校や高校時代の成績を中心に、中学から城西大学、箱根駅伝までの歩みを詳しく紹介します。
- 柴田侑さんの高校と高校時代の成績
- 柴田侑さんの中学や小学校、豊橋との関係
- 柴田侑さんが城西大学で飛躍した理由
- 柴田侑さんの箱根駅伝や陸上での主な記録
柴田侑の高校は滋賀学園!高校時代の成績と挫折
柴田侑さんの高校は、滋賀県にある滋賀学園高等学校です。愛知県豊橋市で育った柴田侑さんは、中学卒業後に地元を離れて滋賀学園へ進学しました。
高校1?2年では駅伝やトラックで結果を残しましたが、高校3年には貧血や体重減少による深刻な不調も経験しています。まずは柴田侑さんの高校3年間を表で確認してみましょう。
| 学年 | 主な成績・出来事 |
|---|---|
| 高校1年 | 5000mで14分55秒95、近畿地区高校駅伝2区で区間1位、全国高校駅伝に出場 |
| 高校2年 | 滋賀県高校総体1500m優勝、全国高校総体1500m出場、5000mで滋賀県高校記録を樹立 |
| 高校3年 | 貧血や体重減少で不調。滋賀県高校総体1500m7位、全国高校駅伝1区に出場 |
滋賀学園へ越境進学して陸上の強豪選手へ
柴田侑さんは豊橋市立南陽中学校を卒業後、愛知県を離れて滋賀学園高等学校へ進学しました。中学時代には全国大会の800mで入賞するほどの実力があり、さらに高いレベルで競技へ取り組むため、県外の強豪校を選んだことになります。
滋賀学園では1500mや5000mを中心に力を伸ばし、高校1年だった2020年には近畿地区高校駅伝の2区で8分19秒を記録して区間1位。年末には全国高校駅伝にも出場し、早い段階から全国の舞台を経験しました。
柴田侑さんは滋賀学園への入学直後から主力として起用されており、高校時代のスタートから高い期待を集めていた選手です。

中学で磨いたスピードを生かしながら、5000mや駅伝にも対応できる力を身につけていった時期といえますね。
後に城西大学で発揮するトラックでのスピード能力も、滋賀学園でさらに磨かれていきました。
高校1?2年で滋賀県高校記録を樹立
滋賀学園へ進学した柴田侑さんは、高校1年から着実に結果を残しました。2020年にはナイタートライアルin屋島の5000mで14分55秒95を記録し、駅伝だけではなくトラック競技でも長い距離への適性を見せています。
高校2年となった2021年には滋賀県高校総体の1500mで優勝し、全国高校総体の1500mにも出場しました。さらに5000mでは滋賀県高校記録を樹立するなど、滋賀県内を代表する長距離選手へと成長しています。
高校2年で滋賀県高校記録を打ち立てたことは、柴田侑さんの高校時代を代表する実績の一つです。
中学では800mや1500mでも活躍していた柴田侑さんですが、滋賀学園では5000mまで競技の幅を広げました。中距離で培ったスピードと長距離への適応力を両立させた経験は、大学進学後の3000mや5000mでの活躍にもつながったと考えられます。
高校3年は貧血と体重減少で不調に
高校2年まで順調に成績を伸ばしていた柴田侑さんですが、高校3年となった2022年には競技人生でも大きな壁に直面しました。貧血に加えて体重も落ちすぎてしまい、通常のジョギングさえ難しいほど心身ともに走れない状態になった時期があったとされています。
全国トップを目指していた柴田侑さんにとって、練習そのものが満足にできない状況は非常に苦しかったでしょう。滋賀県高校総体では得意としていた1500mで7位となり、高校最後のトラックシーズンでは思うように自己ベストを更新できませんでした。
高校3年の貧血と体重減少は、柴田侑さんの高校時代における最大の挫折だったといえます。
高校1?2年で結果を残していたからこそ、思い通りに走れない苦しさは大きかったはずです。ただし、城西大学では長い距離の土台作りから身体を作り直しており、高校時代の挫折が自身のコンディションと向き合う転機になった可能性もありますね。
全国高校駅伝で後輩の落合晃へタスキをつなぐ
不調が続いた高校3年の冬も、柴田侑さんは滋賀学園の一員として2022年の全国高校駅伝に出場しました。柴田侑さんが担当したのはエースが集まる1区10kmで、30分42秒の区間32位という結果でした。
本来の実力を考えれば悔しさが残ったと思われますが、第1中継所で柴田侑さんからタスキを受け取った選手が、当時高校1年だった落合晃さんです。落合晃さんはその後、800mの日本記録を樹立するトップランナーへ成長しています。
滋賀学園時代の柴田侑さんと落合晃さんは、全国高校駅伝という大舞台で実際にタスキをつないでいました。
落合晃さんは滋賀学園へ進んだ理由として、柴田侑さんら強い先輩と練習できる環境を挙げています。高校3年の成績だけを見ると苦しい一年でしたが、柴田侑さんの存在そのものが後輩にとって目標になっていたことが分かりますね。
柴田侑の高校進学前は豊橋市立南陽中学校!小学校は?
柴田侑さんは愛知県豊橋市出身で、高校進学前は豊橋市立南陽中学校に通っていました。中学3年時には全国大会の800mで8位に入賞するなど、滋賀学園へ進む前から全国レベルの実力を持っていた選手です。
一方、小学校については学校名を確認できる公表情報が見当たりません。検索結果には同姓同名の別人も含まれるため注意が必要です。
| 時期 | 学校・地域 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 小学校 | 学校名は確認できず | 愛知県豊橋市出身 |
| 中学校 | 豊橋市立南陽中学校 | 全中800m8位、全国都道府県対抗男子駅伝に出場 |
| 高校 | 滋賀学園高等学校 | 1500m・5000m・高校駅伝で活躍 |
| 大学 | 城西大学 | 男子駅伝部に所属し、箱根駅伝やトラックで活躍 |
小学校名は公表情報から確認できない
柴田侑さんが通っていた小学校については、現在確認できる公表情報から学校名を特定できません。愛知県豊橋市出身で、その後に豊橋市立南陽中学校へ進学したことは分かっていますが、小学校まで公式なプロフィールとして明らかにされているわけではありません。
そのため、豊橋市内の特定の学校を柴田侑さんの出身小学校として断定するのは避けたほうがよいでしょう。柴田侑さんの小学校について確実にいえるのは、現時点では学校名を確認できる公表情報が見当たらないという点です。
城西大学で注目度が高まり、インタビューの機会も増えているため、今後幼少期のエピソードが紹介される可能性はあります。柴田侑さんの高校や中学だけでなく、陸上競技を本格的に始める前の歩みについても気になるところですね。
同姓同名の野球選手とは別人
柴田侑さんの小学校を検索すると、野球チームに所属した人物の経歴が表示される場合があります。しかし「岬ウィンズ」や「千葉西リトルシニア」などに所属した同姓同名の人物は、城西大学で陸上競技に取り組む柴田侑さんとは別人です。
陸上選手の柴田侑さんは愛知県豊橋市出身で、豊橋市立南陽中学校から滋賀学園高校へ進み、現在は城西大学男子駅伝部で競技を続けています。
野球に関する同姓同名の経歴を、陸上選手である柴田侑さんの小学校時代と混同しないことが重要です。
人物名だけで検索すると、別競技の選手や同姓同名の人物が検索結果に混ざることがあります。柴田侑さんの高校や中学などの学歴を確認する場合は、陸上競技の大会結果や大学公式プロフィールと照らし合わせると分かりやすいですね。
南陽中学校で全中800m8位に入賞
柴田侑さんは豊橋市立南陽中学校の3年だった2019年、第46回全日本中学校陸上競技選手権大会に出場しました。男子800mと1500mの2種目に挑み、800mでは予選で自己ベストとなる1分57秒3をマークしています。
その後も勝ち上がって決勝へ進出し、決勝では2分00秒13で8位入賞を果たしました。さらに中学3000mでも8分37秒99を記録しており、中距離だけに特化した選手ではなかったことが分かります。
柴田侑さんは高校へ進学してから突然注目されたのではなく、中学時代から全国大会で結果を残していました。
小柄な身体ながら大きなストライドを生かす走りは中学時代から評価されており、現在のダイナミックなフォームにつながる特徴もすでに現れていたようです。全国を経験したことが、県外の滋賀学園高校へ挑戦する自信にもなったのでしょう。
豊橋で駅伝選手としての土台を築く
柴田侑さんの陸上競技の原点をたどるうえで、出身地である豊橋との関係も欠かせません。南陽中学校時代には豊橋市の代表として地域の駅伝を走るなど、トラック競技だけではなく、タスキをつなぐ駅伝でも経験を積んでいました。
さらに全国都道府県対抗男子駅伝では愛知県代表に選出され、中学生区間の2区を担当して区間3位と好走しています。中学生ながら全国規模の駅伝で上位に入ったことからも、長距離選手として高い能力を持っていたことが分かります。
豊橋や愛知県の代表として走った経験が、後の全国高校駅伝や箱根駅伝へつながる土台になったと考えられます。
大学で全国的な注目を集めるようになった後も、柴田侑さんは豊橋との縁を大切にしています。活動拠点が滋賀、埼玉へと変わっても、地元が競技人生の原点であることに変わりはなさそうですね。
柴田侑の高校卒業後は城西大学!陸上で日本学生最高記録
柴田侑さんは滋賀学園高校を卒業後、2023年に城西大学へ進学しました。高校3年では貧血などに苦しみましたが、大学では長距離の基礎から身体を作り直し、徐々に本来の能力を発揮しています。
特に2026年は5000m、10000m、3000mで好記録を連発しました。大学での主な記録をまとめると以下の通りです。
| 種目 | 記録 | 時期 | 主な内容 |
|---|---|---|---|
| 3000m | 7分39秒51 | 2026年5月 | セイコーゴールデングランプリで日本学生最高記録 |
| 5000m | 13分22秒46 | 2026年4月 | 日体大長距離競技会で大幅自己ベスト |
| 10000m | 28分05秒07 | 2026年5月 | 全日本大学駅伝関東地区選考会で日本人トップ |
| ハーフマラソン | 1時間06分14秒 | 2024年11月 | 上尾シティハーフマラソン |
櫛部静二監督が早くから才能に注目
柴田侑さんを城西大学へ導いたのが、男子駅伝部を率いる櫛部静二監督です。櫛部監督は柴田侑さんが滋賀学園高校1年だった頃から能力に注目しており、高校3年で結果を残せなかった時期も将来性を高く評価していました。
櫛部監督は柴田侑さんの高い志やキック力に注目し、城西大学OBでリオデジャネイロ五輪代表の村山紘太さんに通じるタイプとして評価しています。
高校3年の成績だけで判断するのではなく、柴田侑さんが本来持っているスピードや将来性を長期的に見ていたことが城西大学への進学につながったと考えられます。
大学1?2年ではケガや不調もありましたが、長い距離で土台を作ってからスピード練習へ移行する方針で成長していきました。短期間で結果を求めなかったことも、その後の大きな飛躍につながったのでしょう。
低酸素トレーニングで走力が大きく向上
城西大学で柴田侑さんの成長を支えた取り組みの一つが、低酸素環境を利用したトレーニングです。城西大学には複数のトレッドミルを置ける大規模な低酸素ルームがあり、男子駅伝部ではスポーツ科学を活用した練習を積極的に導入しています。
柴田侑さんも継続的に低酸素環境でトレーニングを行い、一時期は低酸素室で睡眠を取る取り組みも行っていました。本人も継続するうちに少しずつ力がついてきたという手応えを語っています。
高校時代に大きな不調を経験した柴田侑さんにとって、城西大学で焦らず身体の土台を作ったことが、その後の成長を支えた大きな要素の一つとみられます。
冬場にはクロスカントリーにも取り組み、トラックだけでは補いにくい筋力やフォームの安定性も磨いています。柴田侑さんの所属や選手情報は(出典:城西大学)でも確認できます。
3000mで日本学生最高記録を樹立
柴田侑さんが全国的に大きな注目を集めたのが、2026年5月17日のセイコーゴールデングランプリ男子3000mです。実業団のトップ選手が集まる中、柴田侑さんは終盤に自ら先頭へ出る積極的なレースを展開しました。
結果は7分39秒51の3着。この記録は従来の屋外学生記録や室内学生記録を上回る日本学生最高記録となり、学生トップクラスのスピードを持つことを証明しています。
さらに印象的なのは、日本学生最高記録を樹立しても柴田侑さんが3着という順位を悔しがっていたことです。
柴田侑さんはタイムだけを追うのではなく、相手との勝負に勝つことを強く意識しています。滋賀学園高校3年で満足に走れないほど苦しんだ時期を考えると、大学4年で日本トップクラスの選手と互角に戦う姿は大きな飛躍といえますね。
5000mでも13分22秒46の好記録
2026年の柴田侑さんは3000mだけでなく、5000mでも大幅に自己ベストを更新しています。4月の日体大長距離競技会では13分22秒46を記録し、それまでの自己ベスト13分51秒40から約30秒もタイムを縮めました。
続く5月の全日本大学駅伝関東地区選考会では、10000mで28分05秒07の自己新記録をマーク。チームとして本戦出場が難しくなった状況でも自身のレースへ集中し、日本人トップとなっています。
中学では800m、高校では1500mや5000m、大学では10000mや駅伝まで対応している点が、柴田侑さんの陸上選手としての大きな強みです。
スピード型の選手でありながら長距離でも力を伸ばし、2026年は複数種目で自己ベストを更新しました。



高校時代から持っていたスピードと、大学で身につけたスタミナがかみ合った結果といえそうですね。
柴田侑の箱根駅伝は1区6位!城西大学のシード権に貢献
柴田侑さんは2026年1月の第102回箱根駅伝で、初めて箱根路を走りました。任されたのは各大学の有力選手が集まり、その後のレース展開を大きく左右する1区です。
柴田侑さんは1時間00分51秒の区間6位で好スタートを切り、城西大学の総合7位と4年連続のシード権獲得に大きく貢献しました。
| 大会 | 区間 | 記録 | 区間順位 | チーム成績 |
|---|---|---|---|---|
| 第102回箱根駅伝 | 1区・21.3km | 1時間00分51秒 | 6位 | 総合7位・シード権獲得 |
初めての箱根駅伝で1区を志願
柴田侑さんはもともとトラック競技への意識が強く、長い距離に苦手意識を持っていた時期もありました。それでも第102回箱根駅伝では、自ら1区を走りたいと櫛部静二監督へ伝えて重要なスターターを務めています。
柴田侑さんが1区を希望した背景には、周囲に選手がいるほうが相手と勝負している感覚を持てるという自身の特性がありました。単独で一定のペースを刻むよりも、選手同士が競り合う状況に魅力を感じるタイプなのでしょう。
タイムだけでなく相手との勝負に強くこだわる柴田侑さんにとって、多くの有力選手が集団で走る箱根駅伝1区は力を発揮しやすい区間だったと考えられます。
滋賀学園高校3年の全国高校駅伝では同じ1区で苦しい結果を経験しましたが、大学では箱根駅伝1区で上位に入りました。高校時代からの成長を象徴する結果ともいえますね。
1時間00分51秒の区間6位で好スタート
第102回箱根駅伝1区で、柴田侑さんは21.3kmを1時間00分51秒で走り、区間6位に入りました。初めての箱根駅伝ながら集団の中で冷静にレースを進め、チームが大きく出遅れることなく2区へタスキをつないでいます。
1区はスタート直後から各大学が同時に走るため、位置取りや展開を読む判断力も必要です。櫛部静二監督もチームの流れを作る重要な区間として1区を重視していました。
柴田侑さんの区間6位という走りは、城西大学が総合7位に入り、4年連続となる箱根駅伝のシード権を獲得するうえで重要なスタートとなりました。
高校3年ではジョギングさえ難しいほど苦しんだ選手が、数年後には箱根駅伝の1区を任されるまで成長しています。箱根駅伝での記録は(出典:東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)でも確認できます。
地元・豊橋の恩師との絆が競技生活を支える
城西大学で全国トップクラスへ成長した柴田侑さんですが、地元・豊橋とのつながりは現在も続いています。2026年の正月には豊橋へ帰省し、中学時代の恩師と地元の本宮山で練習初めを行うなど、競技者としての原点を大切にしています。
セイコーゴールデングランプリでは、南陽中学校時代の恩師が豊橋から競技場まで応援に駆けつけました。スタンドから大きな声援を受けた柴田侑さんは腕を上げて応え、その後は実業団のトップ選手を相手に積極的なレースを展開しています。
柴田侑さんにとって豊橋は単なる出身地ではなく、陸上競技を始めた原点や恩師とのつながりを感じられる大切な場所なのでしょう。
豊橋から滋賀学園高校、さらに城西大学へと活動拠点が変わっても、地元との関係は続いています。記録だけでは分からない柴田侑さんの人柄を感じられるエピソードでもありますね。
柴田侑の高校や中学・箱根駅伝まとめ
当記事では、柴田侑さんの高校や高校時代の成績、中学、小学校、豊橋、城西大学、箱根駅伝での活躍について紹介しました。柴田侑さんの高校は滋賀学園高校で、高校2年には滋賀県高校記録を樹立する一方、高校3年には貧血や体重減少による大きな挫折を経験しています。
中学は豊橋市立南陽中学校で、全日本中学校陸上競技選手権大会の800mで8位に入賞。小学校名は公表情報から確認できず、検索結果に出てくる同姓同名の野球選手とは別人です。高校卒業後は城西大学へ進み、第102回箱根駅伝1区で区間6位、3000mでは7分39秒51の日本学生最高記録をマークしました。
高校時代の苦しい経験を乗り越え、日本トップクラスまで成長した柴田侑さん。豊橋から全国、そして世界を目指して、今後どこまで記録と勝負強さを伸ばしていくのか注目したいですね。










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