松井海斗の埼玉栄時代の成績は?東洋大学での箱根駅伝や怪我も

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東洋大学の陸上競技部で活躍する松井海斗選手。松井海斗選手といえば、埼玉栄高校時代に全国高校駅伝で区間賞を獲得した実力派ランナーとして知られています。2026年の箱根駅伝でも1区で区間3位に入り、大きな注目を集めました。

松井海斗選手は埼玉栄高校時代にどのような成績を残していたのでしょうか。また、出身中学や毛呂山町との関係、東洋大学への進学理由も気になりますよね。

さらに、大学入学後に首のヘルニアで手術を受けたという話もあり、怪我からどのように復帰したのか知りたいところです。

そこで当記事では、松井海斗選手の埼玉栄高校時代の活躍から、東洋大学での箱根駅伝の結果、怪我を乗り越えた経緯まで詳しく紹介します。

この記事でわかること
  • 松井海斗の埼玉栄高校時代の駅伝成績
  • 出身中学や毛呂山町との関係
  • 東洋大学への進学理由と箱根駅伝2026の結果
  • 首のヘルニアの経緯や自己ベスト記録
目次

松井海斗の埼玉栄高校時代の成績は?全国高校駅伝で区間賞

松井海斗選手は埼玉栄高校時代、全国高校駅伝で区間賞と区間2位を獲得した実力者です。高校2年生では埼玉県高校駅伝の3区で区間新記録を樹立し、全国大会でも5区の区間賞に輝きました。

さらに高校3年生では、各校のエースが集まる全国高校駅伝の1区で区間2位を記録しています。まずは松井海斗選手の主な高校時代の成績を確認してみましょう。

年度・大会出場種目・区間記録・結果
2021年 全国高校駅伝3区25分08秒・区間34位
2022年 埼玉県高校駅伝3区23分54秒・区間新記録
2022年 全国高校駅伝5区8分39秒・区間賞
2023年 インターハイ5000m13分56秒81・7位
2023年 全国高校駅伝1区28分54秒・区間2位

高校2年で埼玉県高校駅伝3区の区間新記録

松井海斗選手が大きく飛躍したのは、埼玉栄高校2年生だった2022年です。同年11月1日の埼玉県高校駅伝では、男子3区の8.1075kmを任され、23分54秒という素晴らしい記録を残しました。

従来の区間記録を22秒も更新する区間新記録です。2位に3秒差をつけて襷を受け取った松井海斗選手は、後続との差を1分07秒まで広げる快走を見せました。

松井海斗選手の圧倒的な走りもあり、埼玉栄高校は2時間6分15秒で6年連続の優勝を達成しました。

2位のチームには3分49秒もの大差をつけています。

高校2年生でチームの中心選手として結果を残していたことがわかりますね。私は、記録の速さだけでなく、襷を受け取った時よりも大きくリードを広げた点に注目しました。全国大会につながる大切な予選で、頼もしい走りを見せています。

全国高校駅伝で5区区間賞と1区区間2位

松井海斗選手は、2022年12月25日に行われた第73回全国高校駅伝でも活躍しました。埼玉栄高校の5区を担当し、3kmを8分39秒で走って区間賞を獲得しています。チームも総合4位に入賞しました。

翌2023年の第74回全国高校駅伝では、各校のエースが走る1区に出場。須磨学園の折田壮太選手と激しい先頭争いを繰り広げ、28分54秒の区間2位となりました。折田壮太選手との差はわずか6秒でした。

高校2年で全国の区間賞、高校3年でエース区間の2位という結果は、松井海斗選手の実力を示す大きな実績です。2023年の埼玉栄高校も総合5位に入り、2年連続で全国大会の入賞を果たしています。

短い5区でのスピードと、10kmの1区で最後まで競り合う持久力の両方を発揮しました。東洋大学で箱根駅伝1区を任されることになる松井海斗選手にとって、高校時代の経験は大きな財産になったのではないでしょうか。

貧血を乗り越えた食事管理と練習の工夫

松井海斗選手は、埼玉栄高校への入学当初から順調だったわけではありません。中学3年生の頃から貧血に悩まされ、高校1年生の時期にも思うように走れない状態が続いていました。

日常生活で階段を上ることさえつらい時期があったそうです。長距離ランナーにとって、走りたいのに身体が思うように動かない状況は、非常に苦しかったと考えられます。

転機となったのは高校2年生の春でした。松井海斗選手は神山洋一監督に相談し、食事と休養を徹底的に見直しました。鉄分を補うためにレバーを食べ、ご飯400gを摂取するなど、身体づくりに取り組んだといいます。

必要に応じて朝練習を休み、睡眠時間を確保することも重視していました。練習量を増やすだけではなく、自分の身体に合った方法を選んだのですね。

食事と休養の見直しを経て、埼玉県高校駅伝の区間新記録や全国高校駅伝の区間賞を獲得しました。苦しかった経験が成長につながったようです。

松井海斗の出身中学は毛呂山中学校?毛呂山町との関係も

松井海斗選手の出身中学は、埼玉県入間郡にある毛呂山町立毛呂山中学校です。毛呂山町の広報誌でも卒業生として紹介されています。

2006年1月29日生まれで、2026年度は東洋大学の3年生です。埼玉栄高校から東洋大学へ進学した経歴に加え、出身地に関する公表情報も確認してみましょう。

項目プロフィール
名前松井海斗(まつい かいと)
生年月日2006年1月29日
出身地毛呂山町・川越市の両表記あり
出身中学毛呂山町立毛呂山中学校
出身高校埼玉栄高等学校
大学東洋大学
学部・学科総合情報学部総合情報学科
学年3年生(2026年度)
競技陸上競技・長距離走

中学時代に陸上を始めたきっかけ

松井海斗選手が陸上競技を始めたのは、中学1年生の頃です。きっかけは、何かの競技で1位になりたいという純粋な憧れでした。毛呂山中学校の持久走大会では2位になることが多く、1位を目指す気持ちが練習の原動力になっていたそうです。

しかし、中学3年生になると、貧血の影響で約1年間も満足に走れない時期を経験しました。周囲の選手が走っている姿を見ながら、焦りや悔しさを感じていたと語っています。

松井海斗選手は、最初から勝ち続けてきたランナーではなかったのです。1位になれない悔しさと、走ることすらできない苦しさを経験しながら、陸上競技を続けてきました。

私は、勝てなかった経験を努力の原動力にしている点が印象的だと感じました。

中学時代に感じた悔しさが、埼玉栄高校での飛躍や東洋大学での活躍につながっているのかもしれませんね。

毛呂山町とのつながりと出身地の情報

松井海斗選手は、埼玉県毛呂山町と深いつながりがあります。2023年11月の町の広報誌では、毛呂山中学校を卒業した埼玉栄高校3年生として紹介され、インターハイ5000mで7位に入賞したことが取り上げられました。

さらに2024年には、東洋大学1年生として出場したU20日本陸上競技選手権の男子5000mで2位となり、毛呂山町の広報誌でも活躍が紹介されています。

ただし、出身地については公表情報に違いがあります。毛呂山町では町出身の選手として紹介されていますが、東洋大学が2024年4月に発表した新入生紹介では、出身地を埼玉県川越市と記載しています。

両方の記載があるため、出生地や過去の居住歴まで断定することはできません。一方、毛呂山中学校を卒業し、埼玉栄高校へ進学した経歴は確認できます。

出身地の表記は異なりますが、毛呂山町にゆかりのある選手であることは間違いありませんね。

(出典:毛呂山町)

(出典:学校法人東洋大学)

松井海斗が埼玉栄から東洋大学へ進学した理由

松井海斗選手は、2024年4月に埼玉栄高校から東洋大学の総合情報学部総合情報学科へ進学しました。

東洋大学を選んだ理由として挙げられるのが、箱根駅伝での「鉄紺の襷」への憧れと、徹底された食事管理です。特に高校時代に貧血で苦しんだ経験が、進学先を考える際にも大きな意味を持っていたようです。

東洋大学の鉄紺の襷に憧れたきっかけ

松井海斗選手が東洋大学に憧れるようになったきっかけは、中学生の頃にテレビで見た2020年の第96回箱根駅伝でした。

特に印象に残ったのは、東洋大学の相澤晃選手が2区で東京国際大学の伊藤達彦選手と競り合った場面です。相澤晃選手は区間新記録を樹立する快走を見せ、松井海斗選手も強く心を動かされたといいます。

東洋大学は鉄紺と呼ばれる紺色のユニフォームで知られ、「その1秒をけずりだせ」というスローガンを掲げています。松井海斗選手も、高校時代から最後の1秒まで諦めない姿勢を大切にしていました。

2023年の全国高校駅伝1区で折田壮太選手を追い続けた走りにも、チームのために1秒でもタイムを縮めたいという思いが表れていました。

私には、憧れの大学に進学するという目標が、埼玉栄高校時代の大きなモチベーションになっていたように感じられます。

中学生の頃からの夢を実現したのは素敵ですね。

食事管理などのサポート環境を重視した理由

松井海斗選手が東洋大学を選んだ理由には、食事管理の環境もありました。高校時代に貧血で苦しみ、食事や休養を見直して競技力を向上させた経験があるため、大学でも身体づくりを大切にしたかったのでしょう。

複数の大学を比較する中で、東洋大学は食事管理が特に徹底していると感じたそうです。長距離走では日々の練習だけでなく、栄養補給や休息も重要になります。

また、東洋大学の陸上競技部には、箱根駅伝などの大舞台で活躍してきた先輩選手が多く在籍していました。松井海斗選手も、大学での速い練習についていくのが大変なときには、先輩から声を掛けてもらうことがあったと語っています。

競技力を高められる環境と、身体を支える食事管理の両方が、東洋大学への進学を後押ししたと考えられます。

高校時代に経験した貧血が、大学選びにも影響していたというのは興味深いですね。目先の強さだけでなく、長く競技を続けることも意識していたのでしょう。

松井海斗の怪我は首のヘルニア?手術から復帰まで

松井海斗選手は、東洋大学1年生だった2024年に首のヘルニアを発症し、同年10月に手術を受けています。

大学入学直後から注目されていた選手だけに、競技から離れる期間は大きな試練となりました。しかし、2025年春には日本学生陸上競技個人選手権の男子5000mで優勝し、復帰後の成長を示しています。

怪我から復帰までの主な経緯を表にまとめました。

時期出来事
2024年夏頃首の不調を感じ始める
2024年10月首のヘルニアで手術
2024年12月頃練習へ復帰
2025年1月箱根駅伝の登録メンバーに入るも出走なし
2025年4月日本学生個人選手権5000mで優勝
2026年1月箱根駅伝1区で区間3位

大学1年秋に首のヘルニアで手術

松井海斗選手が首の異変を感じたのは、東洋大学に入学して間もない2024年の夏頃でした。大学1年生のシーズンは、関東インカレ5000mで5位、U20日本選手権5000mで2位に入るなど、順調なスタートを切っていました。

しかし、夏以降に首の不調が表れ、検査でヘルニアが判明しました。同年10月には内視鏡による手術を受け、十分に練習できない時期が続いたといいます。

12月頃から練習を再開し、2025年の箱根駅伝では16人の登録メンバーに入りましたが、実際に走ることはできませんでした。

箱根駅伝を目標に東洋大学へ進学した松井海斗選手にとって、初年度に出走できなかったことは大きな悔しさだったはずです。

なお、首のヘルニアの詳しい発症原因は公表情報だけでは判断できません。長距離走のフォームや練習負荷が直接の原因だったとは断定できない点にも注意したいですね。

2025年の5000mで大会新記録を樹立

怪我から復帰した松井海斗選手は、2025年4月27日の日本学生陸上競技個人選手権で見事な走りを見せました。男子5000m決勝に出場し、13分44秒59の大会新記録で優勝したのです。

レースでは早稲田大学の鈴木琉胤選手が序盤から積極的に先頭を引っ張りました。松井海斗選手は粘り強く追走し、最後の直線で逆転。2位の鈴木琉胤選手とは、わずか0秒24差でした。

首のヘルニア手術から約半年で自己ベストを更新し、大会記録を塗り替えたことは大きな成果です。高校時代から得意としていたラストスパートも、復帰後のレースで発揮されました。

さらに同年5月には、全日本大学駅伝関東選考会の10000mで28分29秒08を記録しています。

中学時代の貧血、高校時代の体質改善、大学での首の怪我と、松井海斗選手は何度も困難を経験してきました。

苦しい時期を乗り越えながら自己ベストを更新した点に、松井海斗選手の強さが表れていると感じます。

埼玉栄出身の松井海斗の箱根駅伝2026の結果は?

埼玉栄高校出身の松井海斗選手は、2026年1月2日の第102回箱根駅伝で、東洋大学の1区を走りました。

箱根駅伝初出場で1時間00分43秒の区間3位という好成績を記録しています。一方、東洋大学は総合14位となり、20年連続で獲得してきたシード権を逃す結果となりました。

箱根駅伝2026の主な結果は以下のとおりです。

項目結果
大会第102回箱根駅伝
出場区間1区(21.3km)
個人タイム1時間00分43秒
個人区間順位3位
トップとの差15秒
東洋大学の往路順位15位
東洋大学の総合順位14位
東洋大学の総合タイム10時間56分27秒

初出場の1区で区間3位を記録

2026年の箱根駅伝1区は、序盤から速いペースでレースが進みました。松井海斗選手は先頭集団に食らいつき、13km過ぎには自ら前に出てレースを引っ張る場面もありました。

最終的には國學院大學の青木瑠郁選手が1時間00分28秒で区間賞を獲得。松井海斗選手は15秒差の1時間00分43秒で区間3位に入りました。初めての箱根駅伝で、強豪選手と最後まで競り合ったのです。

埼玉栄高校3年時に全国高校駅伝1区で区間2位、東洋大学2年時には箱根駅伝1区で区間3位という結果を残しました。

全国高校駅伝の1区は10kmですが、箱根駅伝の1区は21.3kmです。距離が2倍以上に伸びても、松井海斗選手は上位争いに加わりました。

首のヘルニア手術から復帰し、憧れだった箱根路で結果を残したことが特に印象的でした。

埼玉栄高校時代から積み重ねてきた努力が、大きな舞台で実を結んだと感じます。

東洋大学の総合14位と今後の課題

松井海斗選手が1区で区間3位の好スタートを切ったものの、東洋大学は2026年の箱根駅伝で総合14位に終わりました。往路は15位、総合タイムは10時間56分27秒でした。

東洋大学は20年連続でシード権を獲得していましたが、第102回大会では総合10位以内に入れず、長く続いた記録が途切れてしまいました。

箱根駅伝は10人の選手が襷をつなぐチーム競技です。1区で良い順位を獲得しても、後続の選手たちの走りによって総合順位は大きく変わります。

松井海斗選手個人としては素晴らしい結果でしたが、東洋大学全体では課題の残る大会となりました。

2026年度には松井海斗選手も3年生となり、チームを引っ張る立場になっています。2026年10月には、第103回箱根駅伝予選会のエントリーメンバーにも名を連ねました。

埼玉栄高校時代から重要な区間で結果を残してきた松井海斗選手の存在が、東洋大学の巻き返しに欠かせないものになると考えています。

今後のチームの走りにも注目したいですね。

松井海斗の陸上自己ベストと2026年の活躍

松井海斗選手は、埼玉栄高校時代に1500mや5000mでスピードを磨き、東洋大学では10000mやハーフマラソンでも好成績を残しています。

5000mの自己ベストは13分44秒59、10000mは28分29秒08です。さらに2026年には全日本大学駅伝関東選考会でも組1着を獲得し、チームの本大会出場に貢献しました。

5000m・10000m・ハーフマラソンの記録

松井海斗選手の自己ベストを見ると、埼玉栄高校時代に培ったスピードが、東洋大学進学後も着実に伸びていることがわかります。5000mだけでなく、10000mやハーフマラソンでも高い競技力を発揮しています。

2026年10月時点で東洋大学陸上競技部が公表している主な自己ベストは以下のとおりです。

種目自己ベスト記録した大会
5000m13分44秒592025年 日本学生個人選手権
10000m28分29秒082025年 全日本大学駅伝関東選考会
ハーフマラソン1時間01分44秒2025年 上尾シティハーフマラソン

5000mでは日本学生個人選手権で大会新記録を樹立し、10000mでも28分台の自己ベストを残しています。2025年11月の上尾シティハーフマラソンでは、1時間01分44秒を記録しました。

松井海斗選手の強みは、ラストスパートの速さと長い距離を粘り強く走る力の両方を備えている点です。埼玉栄高校での全国高校駅伝や、東洋大学での箱根駅伝でも持ち味を発揮しています。

私は、5000mとハーフマラソンの両方で好成績を残している点に注目しています。今後さらに長い距離への対応力を高めれば、箱根駅伝での活躍の幅も広がりそうですね。

全日本大学駅伝関東選考会で組1着の快走

松井海斗選手は、2026年5月4日に開催された全日本大学駅伝関東学連推薦校選考会でも活躍しました。東洋大学3年生として10000mの2組に出場し、29分23秒60で組1着となりました。

レース中盤から自ら先頭を走り、6800m付近で大東文化大学の近江亮選手と集団を抜け出しました。終盤にはさらに差を広げ、2着の神奈川大学・滝本朗史選手に16秒90の差をつけてフィニッシュしました。

東洋大学は8選手の合計タイムで総合5位に入り、2大会ぶりとなる全日本大学駅伝本大会への出場権を獲得しました。

松井海斗選手は高校時代、相手を追いかけながら最後に勝負するレースを得意としていました。一方、2026年の関東選考会では自らレースを動かし、先頭を守り切っています。

レース展開の違いからも選手としての成長を感じました。

2026年10月には全日本大学駅伝本大会のエントリーメンバーにも登録されており、今後の走りに期待が高まりますね。

松井海斗の埼玉栄時代から現在までのまとめ

当記事では、松井海斗選手の埼玉栄高校時代の成績から、出身中学や東洋大学への進学理由、箱根駅伝での活躍について紹介しました。

松井海斗選手は埼玉栄高校2年時に埼玉県高校駅伝3区で区間新記録を樹立し、全国高校駅伝5区でも区間賞を獲得しました。3年時には全国高校駅伝1区で区間2位となり、全国トップクラスの実力を証明しています。

出身中学は毛呂山中学校で、出身地については毛呂山町と川越市の両方の公表情報があります。2024年に東洋大学へ進学した後は首のヘルニアで手術を受けましたが、2025年には5000mで大会新記録を樹立しました。

2026年の箱根駅伝では1区で区間3位に入り、全日本大学駅伝関東選考会でも組1着を記録しています。

松井海斗選手は何度も困難を乗り越えながら成長してきたランナーです。東洋大学の中心選手として、今後どのような走りを見せてくれるのか楽しみですね。

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