髙石樹の中学は朝倉中学校!高知工業で陸上を始め國學院大へ

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國學院大學の長距離界で存在感を高めている髙石樹さん。高校から本格的に陸上競技を始めたという異色の経歴を持ち、箱根駅伝やトラック競技での活躍でも注目されています。

そんな髙石樹さんの中学はどこだったのか、中学生の頃から陸上選手として活躍していたのか気になりますよね。実は髙石樹さんの中学時代は、現在の姿からは想像しにくい意外な過ごし方をしていました。また、高知工業高校で陸上を始めたきっかけや、國學院大學で急成長した背景も気になるところです。

そこで当記事では、髙石樹さんの中学時代から高知工業高校、國學院大學での活躍まで詳しく紹介していきます。

この記事でわかること
  • 髙石樹さんの出身中学と中学時代の過ごし方
  • 高知工業高校で陸上を始めたきっかけ
  • 高校時代から國學院大學までの競技成績
  • 箱根駅伝の山登りや前田康弘監督との関係
目次

髙石樹の中学は高知市立朝倉中学校!当時は帰宅部

髙石樹さんの出身中学は、高知県高知市にある高知市立朝倉中学校です。現在は國學院大學の長距離選手として活躍していますが、中学時代は陸上部どころか運動部にも所属していませんでした。高校から陸上競技を始めて全国トップクラスまで成長した、かなり珍しい経歴の持ち主です。

朝倉中学校では運動部に所属せずゲーム中心の生活

髙石樹さんは朝倉中学校時代、陸上部を含めた運動部には所属しておらず、いわゆる帰宅部だったといいます。放課後にはゲームをして過ごすことが多く、全国大会を目指して走り込んでいたような中学生ではありませんでした。

中学時代には本格的な陸上競技の経験がなかったという点は、現在の髙石樹さんの活躍を考えるとかなり意外ですよね。長距離の強豪選手には中学生の頃から駅伝や陸上で実績を残している選手も多いですが、髙石樹さんはまったく異なる道を歩んでいました。

高校入学後も当初は部活動に所属しておらず、陸上を始めたきっかけは担任教師から部活動を勧められたことでした。つまり、髙石樹さんの中学時代だけを見れば、後に全国高校駅伝や箱根駅伝で活躍する長距離選手になるとは想像しにくかったのかもしれませんね。

小学校時代には水球を経験していた

髙石樹さんは中学では帰宅部でしたが、スポーツ経験がまったくなかったわけではありません。幼少期は身体が弱く病気になりやすかったことから、体力をつける目的で小学校高学年頃から地元のクラブチームで水球を始めています。

本人によると、水球を始めてから体調面にも変化があったそうです。学習塾との両立もあり、周囲の選手ほど頻繁に練習へ参加していたわけではありませんが、水球で身体を動かした経験は陸上を始める以前の貴重な運動経験だったと考えられます。

水球は泳ぎ続けながらボールを扱う競技で、持久力や全身を使う動きが求められます。髙石樹さん自身が陸上での成長との直接的な因果関係を語っているわけではありませんが、小学生時代に培った基礎体力が高校からの競技生活に生きた可能性はありそうですね。

(出典:月陸Online)

中学で陸上をしなかったことが成長につながった?

髙石樹さんが高校から急激に記録を伸ばした背景には、中学時代に陸上競技へ専門的に取り組んでいなかったことも関係しているのかもしれません。中学生の時期に長距離の厳しいトレーニングを積んでいなかったため、高校入学時には身体的にも競技経験の面でも大きな伸びしろが残されていたと考えられます。

もちろん、帰宅部だったこと自体が速くなった理由と断定することはできません。一方で、小学校時代の水球による運動経験がありながら、中学時代には特定競技で身体を酷使していなかったという経歴は、髙石樹さんならではの特徴です。

高校では担任教師の一言をきっかけに陸上部へ入り、1年生の秋には5000mで県大会優勝を果たすまでに成長しました。髙石樹さんの中学時代は競技実績こそありませんでしたが、高校以降に一気に才能を開花させたからこそ、現在の異例のキャリアがより印象的に映りますね。

髙石樹は高知工業高校で陸上を始めた!何科だった?

髙石樹さんは朝倉中学校を卒業後、高知県立高知工業高等学校へ進学し、高校1年生から本格的に陸上競技を始めました。中学時代は帰宅部だったにもかかわらず、競技開始から短期間で県内トップクラスへ成長しています。一方、高知工業で何科に所属していたのかについては、確認できる公表情報がありません。

担任教師の一言が陸上競技を始めるきっかけ

髙石樹さんは高知工業高校へ入学した時点でも、すぐに陸上部へ入ったわけではありませんでした。転機になったのは、高校1年生のときに担任教師から部活動への参加を勧められたことです。それをきっかけとして陸上競技部へ入り、長距離選手としてのキャリアが始まりました。

髙石樹さんが本格的に陸上を始めたのは高校生になってからという点は、現在の実績を考えると驚きですよね。中学時代から全国大会へ出場していた選手とは異なり、競技経験がほとんどない状態からスタートしています。

それでも高校1年生の秋には、高知県高校新人大会の5000mを16分02秒66で制しました。さらに四国高校新人大会では15分08秒04まで記録を伸ばして3位に入っており、競技開始からわずかな期間で才能を見せています。

教師の一言がなければ、現在とはまったく違う道を歩んでいた可能性もありそうですね。

高知工業高校で所属していた学科は公表されている?

髙石樹さんについては「高知工業で何科だったの?」と気になっている人も多いようですが、具体的な所属学科について確認できる公表情報はありません。そのため、機械科や電気科など特定の学科名を断定することはできません。

高知工業高校は工業系の専門教育を行う高校なので、一般的な教科学習だけでなく専門的な授業や実習もあります。髙石樹さんも学校生活と陸上競技を両立しながら、5000mを中心に記録を伸ばしていきました。

高校の学科について新たな本人インタビューなどが公開されれば詳細が判明する可能性はありますが、現時点では出身校が高知工業高校であることまでが確認できる情報です。公表されていない部分については、推測だけで学科を決めつけないようにしたいですね。

高校1年から5000mで急成長

髙石樹さんの高校時代で特に目立つのが、5000mの急激なタイム向上です。高校1年生の秋には16分02秒66だった記録が、同じ年の四国高校新人大会では15分08秒04まで短縮されました。陸上を始めて間もない時期から、約1分近く記録を伸ばしていたことになります。

さらに高校3年生になると、5000mの自己ベストを13分58秒23まで更新しました。高校入学後に本格的な競技を始めた選手が、わずか数年で13分台に到達した成長スピードはかなり印象的です。

朝倉中学校では帰宅部だった髙石樹さんですが、高知工業高校への進学を境に競技人生が一変しました。中学時代に目立った陸上実績がなかったからこそ、高校から全国トップクラスへ駆け上がっていく過程に注目が集まっているのでしょう。

髙石樹の高知工業時代がすごい!5000mで13分台を記録

髙石樹さんは高知工業高校で着実に力を伸ばし、高校3年生では全国レベルの長距離選手へ成長しました。5000mだけでなく高校駅伝でも結果を残しており、國學院大學から注目される選手となっていきます。ただ、順調な高校生活ばかりではなく、大きな挫折も経験していました。

高校2年のインターハイは病気で無念の欠場

髙石樹さんは高校2年生だった2023年、北海道で開催されたインターハイ5000mへの出場権を獲得していました。しかし、大会へ向かう際には搭乗予定だった飛行機が大幅に遅れ、さらに現地ではアデノウイルスに感染するという不運が重なりました。

目が腫れるなど体調を崩したため、せっかくつかんだ全国インターハイの舞台を欠場することになります。高校から競技を始め、全国大会までたどり着いた髙石樹さんにとって、非常に悔しい経験だったことは想像できますよね。

ただ、高校3年生になると再び記録を伸ばし、全国レベルで存在感を示しています。インターハイを走れなかった経験だけが成長につながったと断定はできませんが、思うように走れない時期を乗り越えたことが、その後の競技への意欲をさらに高めた可能性はありそうです。

四国大会5000mで14分15秒67を記録

高校3年生となった髙石樹さんは、2024年6月のインターハイ四国地区大会5000mで14分15秒67を記録して優勝しました。高校から陸上競技を始めた選手とは思えないほどの成長を見せ、四国を代表する長距離選手として全国大会へ進んでいます。

レース後には、日本人同士の順位争いだけではなく留学生と勝負したいという趣旨の目標も語っていました。高校生の段階から13分40秒台を視野に入れる高い目標を持っていたことも、髙石樹さんの特徴といえそうです。

その言葉通り、同年11月の日体大長距離記録会では5000mを13分58秒23で走り、ついに13分台へ突入しました。高校1年生の秋に16分台だったことを考えると、約2年間で2分以上も自己記録を縮めたことになり、高校時代の成長幅の大きさが分かりますね。

全国高校駅伝1区で区間3位の好走

髙石樹さんはトラックだけでなく駅伝でも全国トップクラスの走りを見せています。2024年11月の高知県高校駅伝では、エース区間となる1区10kmを29分53秒で走り、区間新記録をマークしました。

さらに12月の全国高校駅伝では各校のエースが集まる1区を担当し、29分21秒で区間3位に入りました。全国の強豪校のエースと直接競い合って3番手で走り切ったことからも、高知工業高校時代には全国区の選手へ成長していたことが分かります。

朝倉中学校時代には陸上部にも所属していなかった髙石樹さんが、高校から競技を始めて都大路の1区で区間3位まで到達したという経歴はかなり異例です。この高校時代の活躍を経て、次の舞台として強豪の國學院大學へ進むことになりました。

髙石樹は國學院大學で急成長!自己ベストを紹介

高知工業高校を卒業した髙石樹さんは國學院大學へ進学し、前田康弘監督が率いる陸上競技部でさらに記録を伸ばしています。高校時代から得意としていた5000mだけではなく、10000mや駅伝でも結果を残しており、大学長距離界でも注目される存在になっています。

5000mで13分45秒29まで記録を更新

髙石樹さんの高校時代の5000m自己ベストは13分58秒23でしたが、國學院大學へ進学してからさらにタイムを縮め、13分45秒29を記録しています。すでに高校時代に13分台へ突入していたにもかかわらず、大学でも記録を更新している点から成長が続いていることが分かります。

朝倉中学校では陸上経験がなかった選手が5000m13分45秒台まで到達していることを考えると、髙石樹さんの成長曲線はかなり特徴的です。高校から陸上を始めたことによる伸びしろの大きさも感じられますよね。

國學院大學には全国レベルの長距離選手が集まっており、日々の練習から高い水準で競争できる環境があります。高校時代に培った走力に強豪大学でのトレーニングが加わったことで、さらに高いレベルへ進んでいると考えられます。

10000mでは27分57秒71の27分台へ

髙石樹さんは5000mだけでなく10000mでも大きく記録を伸ばしています。2026年7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会では、10000mを27分57秒71で走り、27分台へ突入しました。

同じレースには國學院大學の野中恒亨さんや中央大学の三宅悠斗さんなど高い走力を持つ選手も出場しており、髙石樹さんにとって現在地を知る機会にもなりました。27分台を記録しても満足せず、さらに力をつける必要性を感じていた点に競技への意識の高さが表れています。

中学では帰宅部、高校から陸上を始めたという経歴を考えると、10000mで27分台まで到達した成長には驚かされますね。5000mのスピードだけでなく長い距離への対応力も身につけており、駅伝での活躍にもつながっています。

(出典:読売新聞オンライン)

大学駅伝でも主力選手として存在感

髙石樹さんはトラック競技で記録を伸ばす一方、國學院大學の駅伝メンバーとしても存在感を高めています。高校時代から全国高校駅伝の1区を任される走力を持っていましたが、大学ではさらに距離の長い駅伝にも対応しています。

特に印象的だったのが箱根駅伝の5区です。山登りという特殊な区間を任され、大舞台でも力を発揮したことで、髙石樹さんの名前を知った駅伝ファンも多かったのではないでしょうか。

國學院大學は大学三大駅伝で上位を争う強豪チームであり、メンバー争いも簡単ではありません。その中で髙石樹さんがトラックと駅伝の両方で結果を残していることから、今後も重要な区間を担う選手として期待されていることがうかがえます。

髙石樹と前田監督の関係は?箱根駅伝の山登りで才能開花

髙石樹さんの國學院大學での活躍を語るうえで欠かせないのが、前田康弘監督との関係です。前田監督は髙石樹さんの走力だけでなく、本番で力を発揮する度胸や山への適性にも注目しています。箱根駅伝では1年生ながら5区に起用され、その期待に応える走りを見せました。

前田康弘監督が語る出会い理論

國學院大學の前田康弘監督は、箱根駅伝の山登り区間に適性を持つ選手について「出会い」が重要だという考えを語っています。平地で高い走力を持つ選手であっても、急な上り坂が続く5区で同じように結果を残せるとは限らないためです。

髙石樹さんは、前田監督が求めていた山への適性を持つ選手の一人だったと考えられます。走力を磨くだけでは見つけにくい山登りの能力を評価され、箱根駅伝5区を任されたことは大きな転機となりました。

高校時代は5000mや駅伝1区など平地で実績を残していたため、入学直後から山登り専門の選手だったわけではありません。さまざまな距離やコースに対応できる力があったからこそ、前田監督も箱根の重要区間を託したのでしょうね。

箱根駅伝5区で1年生ながら区間4位

髙石樹さんは國學院大學1年時の箱根駅伝で、山登りとなる5区を担当しました。箱根の5区は高低差が大きく、平地とは異なる走力が必要になる難しい区間として知られています。

髙石樹さんは1時間10分05秒で走り、区間4位の好成績を残しました。本人も本番になると力を発揮できるタイプだと振り返っており、大舞台での強さを証明する走りとなりました。

中学時代には帰宅部でゲームをして過ごし、高校から陸上競技を始めた髙石樹さんが、数年後には箱根駅伝の山登りを任されるまでになったわけです。短期間で競技力を伸ばしただけでなく、特殊なコースにも対応できる点が髙石樹さんの大きな強みなのかもしれません。

ゴール直前のコース間違いも話題に

髙石樹さんの箱根駅伝5区では、走り以外にも印象的なハプニングがありました。フィニッシュまで残り約150mとなった交差点付近で中継車の方向につられ、コースを間違えそうになる場面があったのです。

國學院大學では過去に寺田夏生さんが箱根駅伝のゴール直前でコースを間違えた出来事があり、「寺田交差点」として駅伝ファンの間で知られています。今回の出来事についても、前田監督が過去のエピソードを交えながらユーモアを持って振り返ったことで話題になりました。

もちろん選手本人にとってはヒヤッとする場面ですが、最終的には大きく崩れることなく走り切っています。

箱根駅伝5区での好走と少し人間味を感じるハプニングの両方が、髙石樹さんを印象付けるレースになりましたね。

髙石樹が中学の帰宅部から強くなった理由を考察

髙石樹さんが朝倉中学校時代の帰宅部から全国トップクラスへ成長した理由について、本人から明確な答えが示されているわけではありません。ただ、小学生時代の水球経験、高校から競技を始めたことによる伸びしろ、高い目標設定など、成長につながったと考えられる要素はいくつかあります。

水球で培った心肺機能が生きた可能性

髙石樹さんは本格的な陸上競技を始める以前、小学校高学年から水球を経験しています。水球では泳ぎながらプレーを続ける必要があり、全身を使った運動を長時間続ける体力が求められます。

そのため、水球で身体を動かしていた経験が後の長距離競技に生きた可能性は考えられます。髙石樹さん自身も、水球を始めたことで病気になりにくくなるなど身体面の変化を感じていたと語っています。

ただし、水球経験が5000mや10000mで速くなった直接的な理由だと証明されているわけではありません。小学生時代に培った基礎体力の一つとして考えるのが自然でしょう。中学では競技を離れていたものの、完全に運動経験がゼロだったわけではない点も重要ですね。

競技を始めるのが遅かったからこそ残った伸びしろ

髙石樹さんは中学時代に陸上競技へ取り組んでおらず、高校から本格的な長距離トレーニングを始めました。一般的なトップ選手と比べると競技開始は遅めですが、見方を変えれば高校入学時点でまだ専門的なトレーニングをほとんど経験していなかったことになります。

競技経験が少なかった分、走り方や持久力などを伸ばせる余地が大きく残っていた可能性はあります。高校1年の16分02秒66から高校3年には13分58秒23へ5000mの記録を伸ばしている点からも、大幅な成長が分かります。

ただ、陸上を早く始めることと遅く始めることのどちらが優れていると単純に決めることはできません。髙石樹さんの場合は本人の素質や水球経験、高校・大学での練習環境など複数の要因が重なり、大きな成長につながったと考えられます。

留学生や大迫傑を意識する高い目標設定

髙石樹さんの成長を支えている要素として、競技に対する目標の高さも挙げられそうです。高校時代には日本人選手の中だけで順位を争うのではなく、留学生と勝負したいという趣旨の発言をしていました。

また、大学進学後には高校時代から憧れていた大迫傑さんの走りや練習から刺激を受けています。現在の記録だけで満足せず、自分より高いレベルの選手を意識している姿勢が継続的な成長につながっているのかもしれません。

10000mで27分57秒71を記録した後にも、さらに地力をつける必要があるという意識を持っていました。朝倉中学校時代には陸上選手ですらなかった髙石樹さんですが、高校で競技と出会ってからは目標を次々と高めていることが分かりますね。

髙石樹の兄弟や家族構成は?

髙石樹さんの家族については、両親と兄弟がいる4人家族とされています。ただし、兄弟の年齢や名前、職業など詳しいプロフィールについては確認できる公表情報が限られています。競技生活において家族の応援が支えになっていることは、髙石樹さん本人の言葉からうかがえます。

両親と兄弟がいる4人家族

髙石樹さんには両親のほかに兄弟がいて、4人家族で育ったとされています。一方、兄なのか弟なのかといった詳細や、兄弟が陸上競技をしているのかについては、確認できる情報だけでは断定できません。

髙石樹さんの兄弟について詳しいプロフィールは公表されていないため、同姓の選手などを家族だと結びつけるのは避けたほうがよさそうです。今後、本人のインタビューなどで家族について語られる機会があれば新しい情報が分かるかもしれませんね。

髙石樹さん本人は高知県高知市で育ち、朝倉中学校から高知工業高校、そして國學院大學へと進みました。家族の詳細は多く公開されていませんが、高知で過ごした幼少期から現在の競技生活につながっていることが分かります。

家族の応援が競技生活の支えに

髙石樹さんは競技を続けるうえで、家族からの応援が支えになっていることを語っています。小さい頃に身体が弱かった髙石樹さんへ水球を始めるきっかけを与えたのも両親でした。

中学時代には陸上競技をしていなかったため、当時から長距離選手になる道が決まっていたわけではありません。それでも高校で陸上を始め、全国高校駅伝、國學院大學、箱根駅伝へと進む過程で、家族が髙石樹さんの挑戦を見守ってきたことは大きな支えになったのでしょう。

高校から本格的に競技を始めた髙石樹さんのキャリアを見ると、周囲との出会いや環境にも恵まれていたことが分かります。

家族、担任教師、高知工業高校、前田康弘監督との出会いが重なり、現在の長距離選手としての姿につながっているのかもしれませんね。

髙石樹の中学や高知工業・國學院大學についてまとめ

当記事では、髙石樹さんの中学時代から高知工業高校、國學院大學での活躍について紹介しました。髙石樹さんの中学は高知市立朝倉中学校で、当時は陸上部ではなく帰宅部としてゲームを楽しんでいました。

小学生時代には水球を経験し、高知工業高校で担任教師に勧められたことをきっかけに陸上競技を開始。高校3年では5000m13分58秒23、全国高校駅伝1区で区間3位まで成長し、國學院大學進学後には5000m13分45秒29、10000m27分57秒71とさらに記録を伸ばしています。

箱根駅伝の山登りでも力を発揮するなど、中学時代には陸上経験がなかったとは思えない成長を続けています。髙石樹さんが今後どこまで記録を伸ばしていくのか、大学駅伝での活躍にも注目ですね。

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